週刊RO通信

安倍さんに代わってあげて!

NO.1235

 国会が荒れている。いつまでもモリ・カケ・スパでもあるまいというようなジャーナリズムの主張は、その本質を直視していない。というよりも、政府与党の提灯持ちをしているのであり、国会浄化の妨害者である。

 自民党が安倍長期政権下で緩んでいるという論調もまた誤りである。緩みそのものよりも、緩んだ結果として表面化したさまざまの悪質な事態こそが怪しからんのである。まさに自民党(自分党)の本質が露見している。

 そもそも国政選挙で多数を獲得したのだから、何をやっても構わないと考えるような政党はデモクラシーを弁えてないどころか、政治家・政党でございますという政治道徳を踏み外している。最悪の政治だというべきだ。

 安倍氏は年頭記者会見で「声なき声に耳を傾ける」と語った。聞こえている声には聞く耳を持たず。沈黙する善男善女の声を聞くという理屈だが、黙っている人々の意見は聞こえないのだから、やはり聞かないのと同じだ。

 なんのことはない、言わずもがなの本音が露呈している。自民1強と威張っているが、投票者の票は野党ととんとんである。投票しなかった人々の屈折した思いなど理解する気がない。鉋屑みたいな理屈である。

 沖縄の米軍ヘリが昨年9月から7回も事故を起こした。選挙区では猫なで声で通す松本某の「何人死んだのか!」発言もだが、安倍氏が「地元の懸念を軽視する」とやったのも誤読を装った居直りにしかみえない。

 「プライマリー・バランスを改ざん(誤読)」するも、嘘つきを国税長官に抜擢したことを「適材適所」だと答弁したことも、現実にやっていることからすれば、まさにそのまま安倍氏の本音を露呈しているようにみえる。

 前者は「改善する」本気がないからであるし、後者は、嘘をついても自分を守ろうとした人だからこその適材適所である。権力者に対してゴマスリの茶坊主・ヒラメであることこそが、官僚社会の出世条件らしい。

 そもそも安倍氏一派の内閣になってから、政治における言葉の軽さ、否、それ以上に言葉の信頼性劣化は凄まじい。政治において、嘘をつくことは犯罪と等しい。知っていて知らぬ振りするのも右に同じだ。

 安倍氏的国会答弁や、記者会見における菅氏的答弁の不誠実は、企業におけるデータ捏造や不良品販売とどこが違うか。官僚組織を束ねるトップがこんな調子だから、行政の堕落・悪質化が深化しても不思議ではない。

 「働き方改革」だという。かつて改革といえばそれなりに緊張感を以て受け止められたものだが、行政改革・規制改革・構造改革などなどの大安売りで、いまや改革は賽の河原の石ころ、浜の真砂と変わらない。

 改革とは、ある体制を維持しつつ、内部に変革を作っていくことだ。少なくとも改良らしきものが見られなければならないが、長時間労働をなくすとして掲げられたものは現状追認と変わらない。中身のない貝殻だ。

 第一次安倍内閣のとき、有給休暇2017年100%取得を掲げた。10年経っても全然変わらず。この間ワーク・ライフ・バランス論で厚化粧してごまかした。安倍氏の改革とは、その場しのぎの安物的ペンキである。

 ましてや「人づくり革命」などを掲げるに至っては、余りに粗雑な広告宣伝としか思えない。易姓革命、フランス革命、ロシア革命などなどがオツムの片隅にでもあれば、こんな大言壮語はできないと怯むのが正常だ。

 革命とは、社会の根本的矛盾から生じた混乱や、戦争による被害や、支配者の統治能力の欠如・腐敗に対して、人々の不満が爆発して発生する。そもそも自民党は革命が大嫌いなはずではなかったのか。歴史オンチも極まった。

 政治家諸君が、広告代理店並みに、人々の気持ちを惹きつけんとしてキャッチフレーズにこだわるのは理解する。しかし、政治は信用第一でなくてはいかん。安物の洗濯バサミみたいに壊れて当然ではダメだ。

 自民党内からも内閣の緩みが指摘されるようになった。緩んで傲慢になったのではない。緩んで本来の傲慢が出た。選挙の際の猫なで声の地が出たのである。緩んでいることは政治に対する緊張感を失いつつあるわけだ。

 長期にわたって政権を担うのは、よほどタフな人物でも大変である。人物豊富な自民党であろう。安倍氏がくたくたになるまで走らせるのではなく、そろそろこの辺りで交代して差し上げてはいかがであろうか。