論 考

敗戦直後の卓見

 湯川秀樹先生(1907~1981)の1945年9 月8 日(土)の日記には、「首相宮へ尾崎行雄氏の意見書」が記録されている。

 首相宮とは、東久邇稔彦(首相在任1945.8.17~同10.9)。尾崎行雄(1858~1954)は、憲政の神様と称された政治家である。それによると、

 1、文化と戦争は両立し得ず、戦争を根絶せしむべき。新世界の建設は、講和交渉に於いて着手する必要あり。

 2、従来強弱・勝敗即ち腕力を基礎として講和した。今回は正邪曲直・即ち道義を基礎として終始すべし。

 3、戦費その他の損害は通常敗者の方が多大であるに拘わらず従来敗者をして賠償せしめるを常とした。かくの如き不合理の暴行は断然これを廃止せねばならぬ。

 4、台湾・朝鮮・満州の如き武力を背景として得た地域は他国の控訴容喙を待たず、我より進んでこれを解放し住民の自由意志によってその帰属を決定せしむべきである。我が国が提案すれば、アメリカは比島に、イギリスは香港、ビルマに対して同様の処遇を施すに至るであろう。

 尾崎氏の主張はもっともだし、湯川先生もまた諒とされて日記にメモされたのだと、わたしは思う。