論 考

カヌー(仕事)を漕ぐ

 わたしは、冗談半分に、「いい仕事をするから出世するのではなく、出世する努力をしたから出世するのだ」というのである。なぜならば——

 主体的に考えると、いい仕事をするという目的と、出世するという目的は異なる。出世したいにもかかわらず、一所懸命にいい仕事をするのは違う道筋を歩いているという理屈になる。

 他者からみると、いい仕事をする人は、好まれない場合が少なくない。かの世間に多い、妬まれるという傾向である。妬まれるのは間違いなく出世を妨害する要因の1つである。

 さて、某スポーツ選手が同僚選手を陥れる悪辣手段を使ったので、メディアからフェアプレー精神が欠落しているとか、道徳心がないとか指弾されている。

 然り、某選手がやったことはスポーツ行為ではなく、犯罪である。犯罪だからフェアプレー精神や道徳心がないのは当たり前だ。

 出世目的と、いい仕事目的のいずれを追いかけるかという枠組みを設定してみると、某選手は出世目的を追ったのだが、本来の仕事をおっぽり出すような仕業であった。

 仮に、それが成功していたとして、仕掛けられた選手のほうがいい仕事をしているとすれば、某選手が出世を手にしたとしても、その事業は程度が下がる。生産性が相対的に低迷する次第である。