論 考

馴れ合い関係

 時事通信の特別解説委員・田崎史郎氏が、「政治家は公の場ではなかなか口を割らない」。記者会見で執拗に質問しても埒もない。べったりくっついて徹底的に調べ、データを集め「いずれ書く」という構えが大切だと語っている。(東京新聞掲載の氏のコメントから、わたしはそのように解釈した)

 記者会見で紋切型答弁しかしない官房長官に質問を執拗に繰り返した社会部記者が少し前に話題になった。政治記者や玄人筋は「なんやあいつ」みたいな雰囲気だったようだ。

 たしかに議会で安倍氏や官僚らがやっている答弁ものらりくらり、言質を掴まれないように、はぐらかし時間を稼ぐ。——ということはその場面を見れば誰にでもわかることだから、語らないことが誠心誠意ではなく不誠実であり、嘘をついているではないかなどと推測できる。

 だから紋切型答弁に対して紋切型質問でお茶を濁すようになったら、政治記者もお仕舞だ。田崎氏がいうように、いまに見ていろ、いずれ書いてやると決心していようがいまいが、政治的事態は時々刻々推移していくのであって、いずれ書いた暁には、遅れてきた暴露本みたいになって、たいした意味はない。

 国民にとって大事なことは、たとえば、「政治家が真実を語っているか」「本当に政治的に意味のあることをしているのか」などを知りたいのであって、政治家の人間味を覗くことに意義があるわけではない。

 政治家が政治屋で、政治記者が政治屋記者になってしまうというのでは漫画にもならない。それにしても、この政治家と政治記者との関係は明治以来の―悪しき伝統――なのである。