週刊RO通信

「世界人権デー」69年

NO.1228

 12月10日は「世界人権デー」である。1948年のその日、国連総会で「世界人権宣言」(The Universal Declaration of Human Rights)が採択された。その後、「世界人権デー」と命名されて毎年世界各国で記念行事がおこなわれるようになった。次のようなエピソードがある。

 ルーズヴェルト米国大統領未亡人エリノア・ルーズヴェルト(1884~1962)が、人権委員会委員長として異常な努力を払って、18カ月で総会採択に成功した。東西世界の対立が激化しており、議論の対立は極めて激しかったが、棄権はあったものの満場一致という画期的な採択であった。

 これより2年早い日本国憲法は、第3章に「基本的人権」の尊重を基本原則として掲げた。世界人権宣言とほぼ同じ内容だ。日本国憲法の誇りである。1952年、サンフランシスコ講和条約(対日講和条約)の前文にも――日本が「宣言」の目的実現に向けて努力する――と記されている。

 「宣言」の前文は――人類社会のすべての構成員の、固有の尊厳と平等にして譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由と正義と平和との基礎であるので――と書き始められている。

 人間は生まれながらにして人権=尊厳をもっており、人間は、国家が発生する以前から平等な人間として存在するのだから、国家がこれを侵してはならない。人権の第一の胆は「平等」である。

 人々は、生命・自由・幸福を追求するために国家を作った。国家があって国民があるのではない。人々がいて国家を作った。人民が国家というシステムを作ったのであり、国家の主人公である。国家主義は否定される。

 歴史を概観すると、イギリスの「マグナ・カルタ」(1215)、「権利請願」(1628)、「権利章典」(1689)、アメリカ独立宣言(1776)、フランス革命(1789)で「人および市民の権利宣言」が、人権宣言の流れを作った。

 また、自由な国家を求める理念は、人々の自由な権利を守るために、専制的な支配権力に対する反抗・抵抗から確立された。「平等」と「自由」の概念は人々が人間らしく生きるために不可欠のテーマである。

 この流れが今日いうところの「基本的人権」の観念へと発展してきた。第2次世界大戦では、全体主義国家が際立って国民の人権を無視していること、それと外国に対する侵略行為が密接につながっているという認識が高まった。

 すなわち、「基本的人権」をないがしろにするような国家が世界平和の道を歩むことはない。「基本的人権」を発展させるデモクラシー国家こそが世界平和の主導力たるという観念が確立したのである。

 わが日本国憲法においては、第11条に「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」とある。

 第12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と謳う。憲法に「ある」だけでは無意味であって、憲法にあるように「する」のでなければならない。

 思えば「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず=平等」(自然法)であるが、それが日本国憲法に掲げられたのは1946年11月3日である。戦争によって内外に甚大な痛みを与えた歴史から日本国憲法が生まれた。

 占領軍に押し付けられた憲法だという諸君のなかには「基本的人権」を正面から誹謗する人が少なくない。余りにも歴史に対して無知すぎるし、それがいまも残る差別主義の温床であることも指摘せねばならない。

 「——不断の努力」が積み重ねられてきただろうか? 憲法を守るという意義は、護憲か改憲かの問題だけではない。現実に為政者が憲法を守っていない。国会の論議をないがしろにして居直っているのが現実政治である。

 初期の人権宣言は――国家の正当な権力は人民の同意に基づいていなければならないから、政府(国家)が人民の権利を侵害するような場合は、そのような政府を、人民は変更させ、廃止させる権利をもつ――とした。

 法の支配を貫徹できない国家が、いかなる堕落・崩壊の道を辿るか。いま、世界中でたくさんの人々が呻吟・苦悩している姿を直視すれば、決して他所事とはいえない。踏みつけられて後で泣きごとをいいたくない。