論 考

《ホワイトハウス》ジャック

 1993年11月4日のベルギー・オスロにおいて、米大統領クリントンの仲介で、イスラエル首相ラビンとPLO議長アラファタとの間で、オスロ合意(Oslo Accord 暫定自治政府原則の宣言)が結ばれた。

 イスラエルとパレスチナ(PLO)が相互に承認して、「2国家共存」のためにさらに平和的外交を進めようという、感動的な場面だった。

 それでパレスチナ暫定自治政府ができた。

 2人はその功績で94年にノーベル賞を授賞した。しかし、ラビンは95年に平和外交に反対するイスラエル青年に銃撃されて亡くなった。アラファトは2004年に死去した。

 クリントンが公平な調停者の役割を果たしたから実現した合意であった。いわば3人の信頼関係が作り上げた平和攻勢の歴史的ひとこまであった。

 その後紆余曲折あり、事態が思わしく進展していないが、さらに悪化させる方向へ舵を切ったトランプを、わたしは大統領と呼びたくない。

 人気商売の政治家だとしても、中東平和を破壊しても構わないというのでは、政治家として節操がなさすぎる。

 偉大なアメリカの権力中枢がノータリンのテロリストに乗っ取られた。