論 考

政治は18世紀!

 朝日社説(11/5)で、――政権交代と二大政党の思考の枠にはまり込んでしまった現下の政治は、なんと窮屈で退屈なことか――と書いた。

 その通りだ。常々、わたしは二大政党論に対する思い込みと、選挙といえば直ちに政権交代論を掲げることを批判してきた。その論調をおおいに担いだのがジャーナリズムであるが、まあ、それはよろしいとしよう。

 国家主義が主権在民のデモクラシーに代わっても、国民の政治的資質が必然的にデモクラットになるわけではない。制度は所詮制度である。

 法治主義というが、法を運用するのは人間だから、いかに立派な法律があっても、権力による法律の恣意的解釈や悪用はなくならない。

 同様、二大政党になれば、必然的に政治の質が向上するなんて期待もできない。政権交代すれば直ちに以前の政権より優れた政治ができるのでもない。

 一時期、「熟議」という言葉が流行って、パッと消えたが、これである。ものの考え方の異なる人間が社会を作っているのだから、お互い納得できるまで話し合う。これしかないのである。

 多数派であろうが、少数派であろうが、話し合いを大事にする「議会文化」をめざさない限り、わが国の政治は永久に――国際基準で18世紀――と揶揄されるでありましょうねえ。