週刊RO通信

高市自民が社会混乱を拡大する!

NO.1650

 政治家とは、いったい何だろうか。

 わたしは、出世・金儲けに頓着せず、社会の人々のために腐心して奔走挺身する殊勝な活動家だと考えてきた。哲学者オルテガ・イ・ガセット(1883~1955)が、「優れた人間は自分を超え、優った規範に注目し、進んでこれに奉仕する人をエリート」と表現した通りである。もちろん、これは理想であって、生きた聖人君子を期待するのではない。そうありたいと奮闘する人である。

 下院(衆議院)議員定数は人口100万人当たりでは、アイスランド210人、スウェーデン37.1人、イギリス10.4人、フランス9.1人、ドイツ7.5人、韓国6.2人、日本3.2人、アメリカ1.4人である。いずれにしても、圧倒的少数者であり、しかも有権者の直接投票によって選ばれる、「選良」である。人々の負託を思えば、熟睡できないのではないか。凡人は心配する。

 当然ながら選良政治家は、与えられた任期(衆議院4年)いっぱい努めたいだろう。ところが現実はそうではないらしい。長期に政権を担ってきた自民党議員に聞くと、任期途中の解散を歓迎する向きがある。大臣の座を射止めるためには、当選回数がいちばんのキャリアである。解散が多いほどキャリアを積める。おのおの卓抜した能力保持者であるから出世? の決め手は当選というわけだ。

 こうなると政治家の目的が政治ではなく、政界における立身出世である。選挙のたびに、「国家、国民のために頑張ります」と声を絞るが、すでにペテンである。ペテン師が、当選すれば選良に変身して、善政をおこなうなどと期待できないのは当然である。非常に意地の悪い政治家批判を書いたつもりはない。政治家志望者の目的が自身の当選第一にあるならば、地に足の着いた政治ができない。

 そもそも、解散は首相の専権、伝家の宝刀などと埒もない表現が当たり前のごとく語られるのはナンセンス極まりない。憲法第7条による解散は、内閣の助言と承認により、天皇がおこなう国事行為となっているが、解散意思の発動を首相(内閣)に委ねたものではない。これは解散の形式手続きを規定してあるにすぎない。

 解散総選挙は民意を問うのである。民意が、解散せよと言っていないのに、首相が手前勝手に民意を問うことはできない。あたかも首相が解散権を持つかのような慣例が積み重なったのは、自民党が長期政権下で好き放題やってきたからであって、首相の専権・伝家の宝刀などの規定は存在しない。

 現議員の任期は1/3過ぎたばかりである。しかも、歴代内閣は年度予算審議の1~3月期には解散を避けてきた。総選挙に投入される費用は、直接的なものだけでも800億円程度である。

 民主政治は三権分立が基盤である。立法府は民意を反映する。立法府が決めたことを忠実に実行するのが行政府の任務である。行政の長が、議員の任期を恣意的に動かすとすれば、立法の上に行政が立つのであって、これでは専制政治と言わざるを得ない。

 高市首相は、歴史解釈ご都合主義の新興政党が伸長したことが念頭にあるらしい。SNSで怪しい情報を飛ばすような政党が伸長すること自体、社会秩序が崩されつつある証拠である。その後塵を拝するごとく、高市采配は保守右傾化路線である。しかし、それは党勢拡大できても、さらに政治を堕落させる方向へ進んでしまう。社会の趨勢をしっかり見ず、永田町の狭い世界で議員獲得椅子取りゲームに狂奔するのでは、未来を語る資格がない。

 政治家に聖人君子たれと言うのではない。わが国は、世界的に安定安全な社会だと評価された時期があった。しかし、政治家がじっくり日本社会のあり方を考えず、常在戦場、選挙こそ政治家の本願とばかり明けても暮れても選挙というのでは、政治家自身が社会的混乱の原因になる。心得違いの連中を退場させる選挙にしたい。