NO.1649
トランプは手当たり次第のぶち壊し屋だ。何かをなすにせよ、力が大きいだけでは正当な評価を与えられない。誇示する力が破壊であるから、それが大きいほど彼を排斥する声は大きくなる。歴史に名を残したいらしいが、悪名轟くのみである。
歴史に名前を残したいにせよ、21世紀に世界を19世紀へ逆流させた場違いの権力者という汚名を消すことは不可能である。悪名・汚名返上はできないが、一つだけ好感? を持たれる方法がある。見得を切ったり、花道で六方を踏まず、忽然として消え去ることだ。暴れまわった分、意外な好印象を残すかもしれない。
後世代のつもりになってトランプ語録から、自分の導きになりそうな言葉を探してみた。—-見つけられない。世界を大騒動に引きずり込んだにしては、くだらぬ人物の証明である。
ウイリアム・スミス・クラーク(1826~1886)が、明治政府のお雇い外国人として、札幌農学校(のちの北海道大学)で教鞭を執ったのは1876年からの1年間であった。専門の植物学以外に、自然科学一般を英語で教授した。敬虔なクリスチャンのクラークは、学生たちに聖書を配り、人間としての教育に心を砕いた。
農学校の1期生は16人、別れに際して学生一人ひとりと別れがたく会話を重ね、いよいよ別れの際、「Boys, be ambitious like this old man」と惜別の言葉を残し、馬にまたがって去っていったという。映画のシーンを見るようであるが、150年後にも、人々が愛着する言葉を語ったつもりはなかったであろう。クラークは、教育に生き、教育に死んだ。
ambitiousに込めた思いは、教え子たちが自分にふさわしい大望・大志を抱いて奮闘努力してほしいということである。言葉自体は格別刺激的ではないが、16人の学生たちが、クラークから受けた薫陶は、明治の10年、混沌とした社会にあって、いかばかり新鮮な気風を吹き込んだであろうか。
言葉を直接聞いたのは16人であるが、それまでの淀んだような幕政から覚めて、清新溌剌の気風を抱いていた人々が語り伝え、今日まで人々が愛着を感ずる言葉として続いてきた。
クラークが語った大志・大望とは何を意味するだろうか。オルテガ・イ・ガセット(1883~1955)の名著『大衆の反逆』を参考にして考えてみたい。
彼は、――大衆社会が到来して、大衆が社会的権力の座に就いたのだが、大衆は平均人(凡人)に過ぎず、環境に無理強いされなければ決して自分以外の存在に目を向けない。自分自身の存在を指導することもできなければ、指導すべきとも思わない。まして、社会を支配統治するなど及びもつかないことである。
世界が解放されたが、彼の魂は相変わらず彼の内部に閉じこもったままである。大衆とは、自分自身に特別な価値を考えず、自分を一個の平均的存在と見て平然としている。エリートが必要である。エリートは、自分自身を超え、自分に優った一つの規範に注目し、自ら進んでそれに奉仕する人間である。――
エリートとは、権力の座にあるとか、億万長者のことではない。それらは、自身が創り出した社会的価値ではない。社会の価値を自分が占有したのに過ぎない。社会を牽引するエリートは、自分が価値を生み出し、社会に貢献する存在である。社会の持続発展に貢献せねばならない。これが「貴族」であるとオルテガは主張する。
クラークは、権力の座に就けとか億万長者になることを提唱したのではない。社会の価値を創造し、社会に奉仕するambitious(大志)を抱けと、はなむけの言葉を贈ったのである。
トランプはゼロサムゲームに勝ったとしても、所詮平均人である。少しでも早く、忽然として去るべしと提案する理由である。
