週刊RO通信

社説も悩んでいる?

NO.1648

元日の朝日新聞は3時半に届けられたが投函口の音がまったく聞こえなかった。それもそのはず、投函口にかろうじて差し込んである。新聞は3部構成、区報もふくめて折込広告が膨大、ずっしりとした重さである。本紙は全36ページだが、全面広告、紙面1/3広告合わせて計算すると正味15ページ。しかも記事は軽い。

3日の社説。朝日「批判的思考のススメ 民主社会の基盤支える力に」。読売「世界秩序の危機 多国間協調で大国に対抗せよ 『やった者勝ち』では禍根残す」。毎日「海図なき世界 揺らぐ秩序と安保 平和主義貫く構想新たに」。日経「米中に翻弄されぬ多国間外交導け」。社説がフラッシュオーバーしたかのごとく、気合が入ったというか、重量感のあるテーマの陳列である。

批判的思考(クリティカルシンキング)は、提案としては大変好ましい。しかし、政権批判をしたり、やっと出て来た森友文書に本腰入れて取り組むと、「まだやってんのかw」など、SNSで嘲笑が飛び交うというような話から導入しなければならないのは、なんとも次元が低い。情けない、の一言。

日本的事情としては、批判的思考どころではない。まともに討論ができない現状である。思想が衝突していて収拾がつかないのではない。討論自体を嫌い、敬遠するのである。よい討論とは、意見Aと意見Bをたたかわせて、両者納得して結論Cに到達することである。こんな発想なんて、とてもとても、の感だろう。

知に働けば角が立つという次元でもない。さざ波すら立てないのが日本的美風である。そもそも、コミュニケーションがわかっていない。おおかたは、人間関係をよくすることがコミュニケーションだと信じている。しかし他人と接すればさざ波くらいは立つ。こいつは危険の入り口だ。触らぬ神に祟りなし。かくして、できるかぎり人様とは接触しないという次第だ。

わたしの見るところ、この傾向は1990年代から深刻化した。そのカルチャーは、朝から挨拶に、「おつかれさま」が登場するのと重なっている。お互い、疲れているのだから無用の摩擦を起こさないようにしましょうというメタファーである。

クリティカルシンキングのススメは大事な提案である。そのためには、手始めに、人々がもっと自由に大胆に語り合い、討論が自然におこなわれるように工夫しなければならない。わたしの体験では、コミュニケーションが当たり前という職場はきわめて少ない。職場の気風を大きく転換しなければならない。

ついでだが、小学校時代から話し合う文化があるのだろうか。受験競争は、悪く言えば他人を蹴落とすことである。あえていう。幼くして志を立て、学習という点取り稼業に精出して十数年、コミュニケーション欠陥人間を排出し続けてはいないだろうか。

誤解なきように補足しておくと、コミュニケーションは、仲良しごっこではない。自分を語り、他者を聴く。昔からの言葉にいう、胸襟を開き、お互い腹の底を見せてこそ肝胆相照らすのである。

閑話休題。読売が「多国間協調で大国に対抗せよ」と書いたのはぜひ買いたい。ただし、疑問はある。トランプの横で飛んだり跳ねたり(に見えた)する首相が指導力を発揮するだろうか。日米同盟が憲法に優先するような発言をする政治家諸君に、性根を入れて「超・日米同盟」の活動を起こす気迫がありや! その点、日経の「米中に翻弄されぬ云々」は、社説子の本音に近いようだ。

3日の社説は、ひさびさ多少の刺激をもらった。各紙社説いずれも、迷路から脱出できないような日本的事情について、おおいに悩んでおられると思いたい。多少琴線に触れそうだったので、わたしの感想を述べた。できることなら、3日の論説の緊張感を今後も持続してもらいたい。