週刊RO通信

悩んで大きくなったのか!

NO.1647

 この1年が終わっても、すぐ始まる1年が、また、この1年になりそうだ。改まりましてとは言いたくもない。夜、眠れない枕辺にトランプ・プーチン・ネタニヤフが闖入する。うっとうしい。

 ブッシュ(子)流なら、悪の三羽烏。得意技は混乱、破壊、殺戮だ。個人の犯罪ならしょっ引けるが、彼らは権力を握っている。国家の名において暴走する。今年も、権力亡者が暴れまわった。

 権力は、人間のためにある。人間社会の円滑な運営のためにある。権力は人間の尊厳に貢献してこその意義である。しかし、彼らの頭には人間の尊厳という概念は見当たらない。自分のために権力を求めるだけだ。人間の尊厳のために権力を使うのではない。自分のために権力を駆使するから、混乱、破壊、殺戮の震源地になる。

 彼らの恣意的な権力行使を支えるのは官僚であり、兵士である。官僚も兵士も上からの命令・指示に唯々諾々と従う。機械の部品によく似ている。いかに精巧な機械であろうと、そこにもまた人間の尊厳は存在しない。人間の尊厳を考えないのだから、他者を貶めたり、破壊や殺戮をおこなってもなんら痛痒を感じない。

 権力者は、わが兵士を愛するとか尊敬するとおべんちゃらを並べるが、戦争の本質は、人間ではない存在同士が破壊し殺戮するのだから、わが兵士の生命などまったく気にしていない。戦争の非人間性は、味方も敵も人間として考慮されないことにある。

 軍事パレードなどは、見られるものも見るものも、人間を忘れている。権力亡者の悪宣伝に酔っぱらう。典型的なマインドコントロールである。戦争を始めると止められない。人々が集団催眠から覚めてしまうと、権力亡者の立場が危うくなるからだ。かくて戦争する国(権力者)は必然的に戦争中毒になってしまう。

 混乱、破壊、殺戮をする国だけではない。その気風は他の国々の人々に伝播する。はじめは眉顰めていても、いつの間にか日常化する。善と悪の敷居はさほど高くはない。いまや世界中が人間の尊厳をあざ笑う連中の黴菌に感染しているのではなかろうか。

 このような状況に生活するのは気持ちがくさくさして晴れない。誰でもおだやかに過ごしたいが、日常不断に邪魔が入る。病めるのが社会であれば、隔絶して生きることはできない。どうかすると人は僥倖妄想にとらわれる。それが適わないと、見えない鉄条網に向かって走り出したくもなろう。くれぐれも注意せねばならない。

 1976年野坂昭如が、♪ソソソクラテスかプラトンか ニニニーチェかサルトルか みんな悩んで大きくなった♪ と歌い踊った。ちょっととぼけて、なかなか憎い、サントリーのCFである。ソクラテスからサルトルまで、親しんでいる人は多くはないが、「悩んで大きくなった」が、みんなの気持ちをくすぐり、盛り上げた。これ、昨今は果たして受けるだろうか?

 ところで三悪人は、それなりに頭が良いし、地位やおカネを獲得する才覚(白を黒と言いくるめる技術も含め)ひときわ目立つ。それで権力覇者になったが、悩んで大きくなったのだろうか。想像するに、物心ついたときから功利主義一筋でやってきたのだろう。

 人間は、生まれたときから社会的存在である。社会の外では生きられない。これを、人間は無条件に社会に拘束されていると考えるなら、格子なき牢獄の囚人になってしまう。三悪人に代表されるように不埒な権力者が多いが、彼らが不埒なのであって、人々が罪を背負った囚人ではない。無実の自分が囚われていると感じるならば、そんな私にしてくれた張本人を追っ払わねばならない。

 自由な人々が集まって作るから共同体である。共同体のよき力は、個別には小さくても、一人ひとりの力の総和として実を結ぶ。よき力が発揮されないのは、名目は共同体だが、単なる集合体、群衆に過ぎないからである。次の1年の帰趨は自分に委ねられている。