筆者 小川秀人(おがわ・ひでと)
中江兆民(1847~1901)を取り上げてみた。中江翁は、ジャン・ジャック・ルソーの「社会契約論」を翻訳、紹介した功績から東洋のルソーと呼ばれ、自由民権運動を理論的に支えたと評されている人物だ。翁の思想は、今の日本の労働界にも婉曲的に警笛を鳴らしてくれている。
『三酔人経綸問答(1887)』は中江翁の主著の一つ。洋学紳士、豪傑君、南海先生の3人が夜遅くまで酒を酌み交わしながら、日本がこれから欧米列強とどう対峙していくべきか、国内の政治体制はどうあるべきか、という当時の喫緊かつ複雑な問題を分りやすい対話形式で描くフィクションだ。
3人は、それぞれ異なる政治的立場を代表しており、彼らの議論を通じて、当時の日本の政治状況や世界情勢が鋭く批判・分析されている。1887年といえば西南戦争から10年。この時期、日本は近代国家としての軍備を整えつつあり、数年後には日清・日露戦争へ突入していくことになる。
洋学紳士は、ヨーロッパの議会制民主主義や国際協調を主張する穏健な自由主義者で理想主義者。自由平等や絶対平和を主張し、完全民主制による軍備放棄を訴え、フランスやドイツなどのヨーロッパ列強の帝国主義的な行動を批判する。
豪傑君は、国権拡張を主張する強硬な国家主義者で主戦論者、対外戦争による日本の地位向上を目指すべきだと説く。国際社会を弱肉強食の世界と捉え、軍備拡張と海外進出を熱心に主張する。南海先生は中江翁自身で、2人の議論を聞きながら彼らの極端な意見を統合・調整する役割だ。
南海先生は言う。「紳士君の説は純粋で正しく、豪傑君の説は豪放で卓抜だ。紳士君の説は強い酒だ。目がまわり、頭がくらくらする。豪傑君の説は劇薬だ。胃は裂け、腸は破れる。私はもう老人です。両君の説は、私の衰えた頭脳では到底、理解し消化することはできない。どうか両君、それぞれ努力して時期が来たら実際に試していただきたい。私は見物させてもらいます」。
続けて、「紳士君の説は、ヨーロッパの学者がその頭の中で発酵させ、言葉や文字では発表したが、まだ世の中に実現されていないところの、眼もまばゆい思想上の瑞雲のようなもの。豪傑君の説は、昔のすぐれた偉人が百年、千年に一度、じっさい事業におこなって功名をかち得たことはあるが、今日ではもはや実行し得ない政治的手品です。紳士君の説は、全国の人民が一致協力するものでなければ実行できない。豪傑君の説は、天子や宰相が独断専行するものでなければ実施できない」。
南海先生こと中江兆民は、自由主義と国権主義のそれぞれの限界を指摘しつつ、終始「民衆の自治と独立こそが基本である」という立場を採っている。翻って現代の、世界の中の日本に照らし合わしてみるとどうだろうか。日本は日本であって、ヨーロッパとは歴史や文化も違えば、政治体制や地政学的にも異なる。
連合が大好きな、北欧諸国辺りを福祉国家のお手本として参考にすること自体は否定しないが、それを絶対化・神格化して信奉し、相対比較論的に日本が遅れているという論法は、自虐的で頭の中がお花畑としか言いようがなく単なる海外かぶれだ。さりとて、アメリカが民主主義のお手本とも到底思えず、未だに実験的な民主主義っぽい国家であろう。政権が変わるたびに極端に左右に振れるが、これも日本にそのまま持ってきたところで、決定的に馴染まないことは近現代史を振り返っただけでも自明だ。いずれにしても、今の労働界に南海先生は見当たらない。自分たちのことは自分たちで決めれば良いことだ。
