筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
高齢化社会は65歳以上人口が全人口の7%を超えたとき始まり、高齢社会は同14%超、超高齢社会は同21%超です。実際の到達年を見ると、高齢化1970年、高齢社会1994年、超高齢社会2007年でした。
わたしは1944年生まれなので、高齢化社会に入った1970年は26歳ですが、高齢社会では50歳、超高齢社会では63歳でした。
1970年ごろの若者世代(若者に限りませんが)は、高齢化は他人事でした。いまや、シルバー民主主義などと槍玉に上げられる始末ですから隔世の感があります。高齢化の当事者は自分たちだと、おおいに喧伝したのですが、将来を考えるのは相当な想像力と理解力が必要です。
組合に設置した中高年問題対策員会は、組合員5万人の2割弱を占める40歳以上全員にアンケートを実施しました。当時は手計算で集計しました。内容は、生活が苦しい、辛抱して尽くしてきたのに報われない、これからの生活が不安だなど、予想通りでした。いかにも当たり前で、格別中高年に対策をするヒントにはなりません。
そこで全国の当事者にインタビューして回りました。アンケートよりはるかに生々しい声が聞けました。少なくとも、賃金労働条件に絞り込めるような性質ではないことを実感しました。たとえば、職場の片隅には実にいろいろな悩みや不安、不満が渦巻いています。社会の変化に乗り遅れた――技術革新だけにとどまらず、親子関係、夫婦関係、近所付き合い。貧しすぎる自由時間。勤め人に安住している気づき。なんでも唯々諾々受け入れてきた苛立ちなど。
当時の組合は、毎月職場集会を開催していましたし、ちゃんとした執行委員はいつも職場に足を運んでいますから、組合員のことはわかっているつもりです。ただし、なんでもかんでも組合員の要求といえば賃金労働条件に集約する頭ですから、本当のことが見えていない。マンネリ化はダメです。
今度は、中高年組合員に集まってもらい、参加者の意見を聞くことにしました。支部集会、全国5ブロック集会、そして全国集会と三段階で中高年集会を開催しました。いずれの集会でも愚痴と不満のオンパレードです。世話役の執行委員は、迫力に気圧されて逃げ腰になる有様でした。
様相が変わったのは、参加者同士で話し合いを進めて、世話役執行委員は輪の外で、ひたすら話し合いを傾聴する形にしてからです。話し合いの司会も記録係もすべて参加者が担当します。愚痴や不満のぶつけ合いが、「じゃあ、どうするか」という内容に変わりました。
当初は、著名な外部講師を招いて講演会も開催しましたが、ありがたいけれども大方は上の空。自分の意見を語ることがいかに楽しいか。参加者は自然に成長していきました。相手が本当に言いたいことは何なのか。よく聞いて、自分の見解を述べる。コミュニケーションの実践的体得がおおいに前進しました。
主催者側としてはボヤっとしていられません。組合員が談論風発する中身は宝の山です。参加者同士が自主的に話し合いを進めるからといって、内職などしてはいられません。組織活動の活性化とはいかなるものか。中高年集会を主催する執行部の面々も、従来のコミュニケーション論が、いかに空疎であったか痛感したものです。(いまも、日本人のコミュニケーション論はあやしい)
わたしは、参加者を観察しているうちに、一つのひらめきがありました。世界は無常、うつろい続けてとどまらない。まさに、パンタレイ(panta rhei 人生は流転する)です。周囲の状況が変化して止まらないだけではない。自分自身も生まれてから死ぬまで変化し続けている。人生で不可欠に必要な考え方はなんだろうか?
人間行動Bは主体Pと状況Sの関数です。公式化すればB=f(P、S)です。主体が状況に振り回されない関係を作らねばならない。もちろんそれは大変に難しい。しかし、状況に振り回されるだけでは場当たり主義で、結局自分が消耗してしまう。つまり元気を失います。
主体を確固たるものに維持し続けることが元気であろう。元気は、自家発電するしかない。他者に元気をいただこうとしても不可能です。自分の元気を、いかにして培養し続けるか。そして、それこそが中高年対策というものの本願に違いない。ここまで来るのに、わたし自身は4年ほど時間を必要としました。
