論 考

トランプはノーベル賞に不適格

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 10月10日のノーベル平和賞発表は、世界中に大きな驚きをもって迎えられた。受賞したのは、ベネズエラの反体制活動家マリア・コリナ・マチャド氏(48歳)だった。誰も予想しなかった。もちろん本人も。

 ベネズエラは、15世紀末コロンブスが来航した。やがてスペインの植民地にされたが1811年独立した。石油資源が豊富だが、国造りに成功していない。

 いまの大統領マドゥロは、はじめは期待されていたが、強権を振り回す乱脈政治で、国民の批判を浴びている。

マチャド氏は、打倒マドゥロのエースだが、昨年7月大統領選出馬を強権で拒否された。その代役でエドムンド・ゴンザレス氏が立候補して戦った。

 ゴンザレス氏は大差で勝利したが、マドゥロは強権で選挙結果を認めず、権力の座にしがみついている。ゴンザレス氏は、スペインへ亡命せざるをえなかった。

 マチャド氏は、命を狙われているが、国内に隠れて情報戦を仕掛けている。

 ノーベル賞委員会委員長ヨルゲン・フリドネス氏は、マチャド氏への授賞について、注目すべき内容のスピーチをした。

 「広がる闇の中で、民主主義の炎を絶やさず灯し続けている。」

 「お互いの意見が違っても、民意による統治の原則を守ろうとする共通の意志があることこそ民主主義の核心にあるものです。」

 マドゥロは、選挙結果を受け入れず権力にしがみつく。権威主義者は、法の支配を損ない、自由な報道を沈黙させ、批判者を投獄する。権威主義的な統治と、軍事化に拍車をかける。だから、「民主主義の手段は、平和の手段である。」でなければならない。

 世界の民主主義が脅威にさらされている今だから、マチャド氏の民主主義に則った活動は大きな価値がある。――これがフリドネス委員長のスピーチの核心である。

 ノーベル賞は、国家間の友好、軍備の削減停止および平和会議の開催・推進のために最大の貢献をした人に贈られる。

 フリドネス委員長のスピーチは、もちろん、マチャド氏への授賞理由を述べたのであるが、裏返せば、力づく授賞を要求したトランプへが「不適格」だという明快な理由である。

 世界最大の力と権威を持つ(はずの)トランプだから、やろうとすれば、超大国以外には絶対的優位な力を有する。しかし、それをいいことに、力任せの実力行使をするならば、それは決して民主主義者のなせる仕事ではない。

 力によって平和を獲得するのは、民主主義の論理ではない、暴力の論理である。自分には不可能はないと豪語する独断と偏見のトランプ流は、力で押さえつけることにほかならず、それを認めれば力の論理に屈服することになる。

 すなわち、ノーベル賞を今のトランプに授賞することは、ノーベルの遺言に反するだけではない。ノーベル賞が民主主義と平和の灯台であることを放棄し、権威主義のちょうちん持ちに沈没することだ。

 フリドネス委員長らノーベル賞委員会の人々は、マチャド氏への授賞以上に、世界の民主主義と平和のために大奮闘した。

 トランプが無節操に力を振り回すほど、ノーベル賞から遠ざかるのみだ。