NO.1633
このところ、新聞で「責任政党」という言葉をよく目にする。いかにもそれらしい語感があるが、法律用語ではないし、きっちり定義づけされた言葉でもない。どうでもいいようなものだが、なんとなく感覚に訴えるような言葉が政治を論ずるうえで流行るのは感心しない。
これに関連して各紙社説の見出しを拾うと、「自民党総裁選 『責任政党』の正念場だ」(朝日9/18)、「自民は責任政党の名に恥じぬ政策論争を」(日経9/9)、「立憲公約に消費税減税 責任政党の自覚問われる」(毎日4/27)という具合である。
朝日社説は、裏金問題、少数与党としての連立問題、社会保障と財政の持続可能性、世界情勢・外交などについてどうするのか。解党的出直しが必要だと主張する。日経は、政権を担う政党として自覚が問われると主張。毎日は、立憲民主党が財源を明らかにせず、食料品消費税8%を0%にするのは責任政党といえないじゃないか、と批判している。
参議院選挙を控えて自民党が6月3日、政治活動用ポスターを発表した。石破首相のカラー写真と合わせて、コピーが「この国を動かす責任がある。」と大きく掲げられており、「動かす責任」の5文字の色が赤、他は黒である。
その意図は、経験と実績に基づき、(自民党にこそ)日本を前へと動かす政治が求められているという。責任政党とは表現していないが、自民党が政治に責任を持ってきた。他の政党に責任がないわけがないが、自民党こそが政治を動かすと宣伝する。長期政権を担ってきた自負である。
衆議院議長を務めた大島理森氏が、青森県自民党連合会で、2023年7月に、自民党について責任政党であり、国民政党であるとして、「責任政党とは、過去と今に責任を持つことである。自民党はポピュリズム政党ではない。」「国民政党とは、特定集団、企業、思想、利益団体の党ではない。国民一人ひとりに向き合う政党である。」と演説している。
当時は岸田内閣である。大島は2021年に衆議院議員を引退したが、この演説は長期的大局的に、自民党の行く末を案じて忠言したのだろう。安倍内閣が歴史をねじまげて解釈し、ポピュリズム的政策が目立ったことも念頭にありそうだ。そう解釈すると大島の責任政党・国民政党論は、戦後自民党の体質を根本から批判したようにもみえる。
自民党が政権を担い続けていくために、従来の歴史解釈と、企業本位の姿勢を改めよというのであれば、石破政権で参議院議員選挙を含む三連敗の危機を先取りして感じていたのかもしれない。まさに解党的出直し論で、自民党アイデンティティ再建論である。ただし、これはわたしの解釈であり、目下自民党内で鼻息が荒い右バネ諸君には通用しないだろう。
新聞がさして深く考えず、責任政党論を振り回すのは、これも1955年以来、自民党が政権を担った期間が長かったからであり、政権=自民党という無意識の意識が作られているのではないか。それ自体、わが国の政治を弛緩させている原因の1つである。
責任内閣という言葉は、議会の信任の如何によって進退を決する内閣をいう。それにならえば、第一に責任政党とは、国民(有権者)の信任によって、政権政党たりうるかどうかを決する。至極当たり前の話だ。その前提は、国民の生活にまさに責任をもつことである。
自民党は、ともすれば国家主義に走りやすい傾向がある。かつて中曽根康弘氏が、(自民党は)「国家に忠誠・国民に愛情」(の党)だと述べたが、これは敗戦前の国家主義の思想である。民主主義では、「国民に忠誠・国家に愛情」というのが正しい。
第二に責任政党とは、責任をもって政策を立案し、実行しなければならない。これもまた当たり前で、政権に就いているかいないかの区別はない。狭義にいえば、政党助成金をいただく政党はすべて責任政党である。
第三に、党利党略に走らないことである。わが国の政党をみると、あたかも党利党略こそ政党としての一致団結箱弁当だと思っている連中が多く、寒心に堪えない。
以上の三点をいずれの政党も肝に銘じてもらいたい。
