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自民党の総裁選挙が、9月22日告示、10月4日投開票でおこなわれる。自民党は反転攻勢できるか。総裁選挙となれば、相変わらず見栄えのよい看板選びで、解党の危機の深刻な原因を掌握できるかどうかが問題だ。
2001年総裁選で、小泉純一郎氏が、「自民党をぶっ壊す」とぶち上げて総裁選に勝利し首相に就任した。このキャッチコピーは衝撃的新鮮であり、小泉氏が街頭へ出ると聴衆がうなぎ上り、一躍人気者になった。小泉劇場、劇場型政治、ワンフレーズ・ポリティックスは驚異的支持率として現れた。
2005年には、郵政民営化関連法案を巡って、深刻な党内対立を引き起こしたが、小泉氏は民営化に反対する人を抵抗勢力と表現した。民営化法案が否決されると、間髪入れず解散。民営化反対派に対しては、刺客を送り込む。選挙は小泉氏の目論見通りに勝利し、反小泉議員も「改革派」に旗印を転じた。経世会支配を崩し、小泉氏を軸として動く自民党を組織した。
小泉氏は2001年から6年まで、佐藤栄作・吉田茂政権に次ぐ長期政権を記録し、党総裁任期を全うして辞任した。
小泉政権は、小さな政府論であった。新自由主義の旗を振った。政局でみれば疾風怒濤の覇者として記憶に残るが、国民生活面では、格別の手柄話はない。むしろ、国民の生活格差拡大の種まきをして、いまに祟っている。
その後、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と短命内閣が続き、2009年には民主党政権が誕生し、自民党は下野した。
政権運営に不慣れの民主党の政権は、東日本大震災・東電福島原発事故の対策に奔走したが、2012年末には自民党が政権の座に返り咲いた。
安倍内閣は、12年から20年まで続いた。その後、菅義偉、岸田文雄内閣を経て、24年10月からいままで石破茂内閣であるが、この9月7日に石破氏は自民党総裁辞任を発表し、総裁選日程が決まった。
小泉氏は自民党を再建したはずだったが、以後の自民党内閣は、ほとんど自壊の状態であった。つまり、再建できていなかったわけだ。政権に返り咲いた安倍政権は8年続いたが、停滞する野党に助けられたというべきで、自民党の再建はできなかった。逆に、政党力を失っていった。
安倍氏は、アベノミクス(金融緩和・財政出動・成長戦略)を掲げた。黒田日銀の全面的バックアップで、デフレ脱却、インフレ2%達成を目指したが、国債発行残高がGDPの2倍を達成! したのみである。株高と円安で好景気を演出した。なにしろ不況下の内閣は長続きしないという。
もう一つ、安倍政権の特徴は選挙中心主義であった。すべては選挙に勝利して政権を維持し続ける。小泉政治をまねる傾向がきわめて強かった。いわくコピー押し出しで、積極的平和、働き方改革——人づくり革命など宗教団体かと思ったほどだ。中身が冴えなかったのは周知の事実である。
北方領土交渉に熱を上げた。機が熟しているどころか、何をもって手がかりとしたのか理解できない。公民権停止中だった鈴木宗男氏がたびたび官邸訪問した。宗男原作物語に、安倍氏の「やらねばならぬ・やればできる」という自己催眠が重なって大騒動したようだ。検証せねばならない。
なんといっても、安倍ナショナリズムが折々に顔を出した。モリ・カケ・サクラは、それゆえに脇が甘く、公人と私人の区別がつかなくなっていた。森友問題は、(安倍夫婦ともに)籠池某の甘言に乗せられて国家財産を処分した。背任・汚職である。自己保身のために財務省官僚を巻き込んだ。
実にでたらめな騒動を起こしつつ、8年間も政権を維持した。常識では信じられない。自民党が国会で圧倒的多数を占めているから、自民党人士が問題意識を持たなければ、議会対策は官僚も巻き込んでの手練手管で乗り切れる。国民の政治不信感が蓄積したのは当たり前である。タイムラグがあるから、ようやく、石破政権の時代になって自民が各種選挙で大敗する結果を招いたのである。むしろ、責任は石破以前にある。
危機のたびに、自民党は右ばね? が効いて結束を固めるという説があるが、それでは本当に自民党が長期低落を脱することにはならない。右か左かで選挙に負けたのではない。国民生活を維持向上させる真摯な姿勢を立て直すことから始めねば、低落に拍車をかけるのみである。
