著者 新妻健治(にいづま・けんじ)
―-組織の先頭に立つことになり、自らの非力を自覚し、足らざるを補うことを旨とした。それを、組織の外に、「出会い」として求めた。そして、「この人」に出会わなければ、その任を全うすることも、今の私もないという、いくつかの出会いに恵まれた。
「この人」たちは、私に生き様を、そして生き方を見せ、「あなたはどうすべきか?」と、私に問いかけた。その問いかけに対する思索、そして実践、更なる問いかけの往還運動が、私を成長させ、そして、「この人」との出会いから生み出されたプログラムの実践は、転回の局面を迎える日本の再生につながる労働組合の運動の戦略を想起させた。労働組合の運動は、総体として人間いかに生きるかに還元されなければならない。「出会い」は、その中核の一つなのである。
はじめに
人生を振り返るとき、深く感じ入る一文がある。
「人生はすべからく出会いであり、出会いの集積が人生である。出会いとは、人生における成長の機会を意味する言葉である。」というものだ。(*1)
足らざるを補うもの
縁あって、労働組合に関わり、その巡り会わせで、40代初め、私は組織の先頭に立つことになった。それを求めて備えをしてきたわけでもなく、ゆえに私は、相当の非力を自覚し、足らざるを補うことを旨にすべしと考えた。
まず、執行部の仲間とともに、中期ビジョン・目標・戦略を定め、そして彼らに、自律・主体を旨とした運動・活動への関与を、それとして求めた。また、そのことを、労使関係も含めた組織内外の均衡を図りながら実現していくことは、自分自身の身の丈を超えることだと自覚し、私は、組織の外に足らざるを補う「出会い」を求めた。
「この人」との出会い
そうしてきたことで、私には、「この人」たちと出会わなかったら、組織を牽引する任を全うすることも、今の自分も無いと思える人たちがいる。出会いの経緯はそれぞれだが、私は、いずれの方からも、自らの生き様や生き方を見せられ、「あなたはどうすべきか?」を、問われた。
そして、私は、「あなたはどうすべきか?」という問いかけを感受し、考え、また実務家として、それを実践に踏み出すことをもって、それに応えた。そして、また問われ、そして応えるというようにして、私はこの往還運動をしながら、螺旋を登るように成長させていただいたと、独りよがりかもしれないが、そう思っている。
出会いのプロデューサー
「この人」のうちの一人は、「出会いのプロデューサー」を自称されていた。私は、「この人」に、著名人ではないが、自らが生きる地域を善くし、その持続可能性を支えようと実践されている人びとと、多くの出会いを、プロデュースしていただいた。これは、後に触れるが、私の仲間の多くが、この方たちとの出会いを得て、交流を図ることになった。
出会いは、思惟の素材であり、自分自身の理性が物事の本質、真偽、善悪を識別し「かくあるべし」の端緒を植え付ける。(*1)そして、この「かくあるべし」とは、彼らの善き実践の根本に在る、人間としていかに生きるかという生き方であったと、私は振り返る。
地域交流プログラム
私たちは、この出会いの契機を、「地域交流プログラム」という取り組みに発展させた。
それは、私たちが働く小売企業が、地域から必要とされる存在として在り続けることで、その持続可能性を確立することができるのであれば、どうすべきかを突き詰めるには、地域社会を、その人びとの営みを、深く知ることが必要だと考えたからだ。
そのような観点から、私たちは、地域に足を運び、地域の人びとの暮らし方・生き方に触れ、より地域を知ることで、小売業の存在意義や価値を、肌で感じることができる。そして、 私たちの企業の持続可能性は、その肌で感じたことを、いかに日々の働き方として実践するかにかかっている。また、そのことは、自らが地域社会を支えているという自負と自尊、また、地域の人びとに支えられているという感謝が、働きがいへとつながるはずだと。
そして最も大切なことは、自らが生きる地域を善くしようと実践されている人びととの「出会い」にあった。私たちは、その人びとの実践に触れ、交流し、なぜそうするのかという生き方に触れることになった。私たちは、この経験を考える素材とし、働く仲間との対話を通じて、いかに働くべきか、そして人間としていかに生きるべきかについて、自分自身の認識を深めていった。
そして、このプログラムは、私たちを受け入れていただいた地域の人びとにとっても、得難い経験にとして受け止めていただいたと感じている。それを端的に表現すれば、地域を善くしようとする人々の取り組みに、光を当てたと言えるかもしれない。改めて、第三者からの評価は、その人びとの自負と自尊を高め、更なる動機へと結びついていくのではないかと感じた。
蛇足だが、地域に所在する顔の見えない我が店に、どのような人たちが働いているのかを、地域の人びとに知ってもらい、わずかながらだが、心のつながる商いを実感していただくことにもなったと思う。
日本の再生と関係人口の増大
私は、この取り組みでの成果を踏まえて、同様の活動を行う全国10か所のモデルの拠点の設定と、このモデル拠点での活動経験を踏まえて、全国600か所以上の事業所(分会)が所在する地域で、このような取り組みを行うことを構想した。加えて、年一回の活動全体の総括と次年度に向けた方針・政策を共有して充実拡大しようと考えた。また、この契機を、各地の地域を善くする人々を招請し、思いと知の交流の機会にしようと考えた。(一度だけ実現できたのだが…)
「地域交流プログラム」が、それぞれの地域の取り組みを活発にする「触媒」として機能し、さらには、思いと知の交流の機会を地域同士の「結節点」として機能させ、その発展を促すという運動モデルとして構想した。
思えば、日本は、経済大国となるも、経済は停滞し、社会的矛盾と問題が露呈し、大きな転回の局面を迎えている。その先の日本を考えるにあたって、多様な文化と歴史を持つ地域の集合体が日本であり、その地域の一つ一つが、自律的に持続可能性を確立していくことは、日本社会全体の持続可能性を、具体的に高めていくことになるのではないかと考えた。
また、人口減少は避けられない日本だが、このような取り組みを通じて「関係人口」(*2)を増大することが、これらの取り組み相互を活性化し、日本再生の戦略たり得るのではないかとも考えた。
社会改革の主体としての労働組合は、その社会的意義と価値を発揮するための運動論における戦略を、社会を善くする取り組みの「触媒」「結節点」に、組合員の参加関与を中核とする運動資源を投下することだという考えに至った経験でもあった。(*3)
しかし、この構想は、その端緒には着手するも、私の人事の問題により、残念ながら、充分に進める事にはならなかった。
さいごに
「人生は出会いの集積であり、出会いは成長を意味する。」と、冒頭に引用した。成長とは、この出会いにより、自分を知り、他者を知り、社会を知り、人間いかに生きるべきか、その「かくあるべし」にむけて、自分自身を前に進める行為であると思う。
そして、現実とは、職場や会社であっても、地域社会や日本社会であっても、それは、そこに所在する人びとの生き方の総体として現出する。ゆえに、人間いかに生きるべきか、人間としての生き方を追求するということに、労働組合運動は還元されなければならないと思わせてくれる取り組みであった。「出会い」は、その中核の一つなのである。
*1 『個人主義の精神―人生を考え抜く力』奥井禮喜、ライフビジョン出版、2012年
*2 「関係人口」とは、地域と多様な関わりを持つ人々のことを指す。私たちは、地域を善くする人々と取組みに学び交流する体験による増大を戦略として企図した。
*3 「大きな時代の転換点にある労働組合の社会的責任と運動展開―大衆運動を基本とした、新しい時代の労働運動の組織戦略と実践論」、新妻健治、2013年
URL(note):https://note.com/mute_marten9491/n/n4ff05c66936b
