NO.1628
敗戦(1945)後生まれの人口が総人口の半分を超えたのは1976年であった。つまり戦争をわが身で体験しなかった人々である。生存される被爆体験者が10万人を切った。忘れません、語り継ぎますといっても、知らない人ばかりになれば、悪意はなくとも、忘れる前から知らない。
戦争体験者であっても、辛い記憶は少しでも早く消してしまいたいと願う人は少なくない。いや、むしろこれが多数派ではなかろうか。とくに、1銭5厘の召集令状で戦地へ狩り出され、破壊や殺傷をしなければ自分の命が危うい立場に追い込まれた人が、体験をとくとくと話せるわけがない。
戦争は、美徳を現すこともあるが、おおかたは悪徳が隠れていられないようにする。ドラマで特攻隊の雄姿に触れて感涙を流す人は少なくないが、彼らの美徳を引き出した背後の悪徳に怒り続ける人は少ない。悪徳が飛んだり跳ねたりしているのに、心ならずも美徳が悪徳を隠してしまう。
わたしは1970年代の夏例年、組合の季刊雑誌に組合員の戦争体験談を特集した。敗戦後生まれが増えて、戦争から遠くなるにつれて、戦争を考えなくなってはいけない。事実を聞き出そうと試みた。
はじめ戦地体験は容易に集められなかった。自分の辛い体験以上に、加害者としての体験は、口を開きにくくしていたのだろう。戦場で兵同士が交戦するのは相互に命がけの競技といえなくもないが、20世紀の戦争は武器を持たぬ人々に対する殺傷が圧倒的に増えた。とても武勇伝にはならない。
被害者としての体験は相手に危害を加えるのではないから罪悪感はない。『長崎の鐘』で記憶される永井隆博士(1908~1951)はカトリック信徒で、被爆体験から信仰を深められた。原爆を神の摂理とし、被爆者は善い人として神にささげられた、という解釈は縁なき衆生のわたしには理解に遠いが、憎しみを超えて生きる意味を示唆されたと思う。
わたしが集めた体験談は、そのようにすごい内容ではないが、それでも十分すぎるほど悲惨であって、自分が体験したいとは絶対に考えない。しかし、空襲で逃げ惑う話を1000本集めても厭戦感が高まるだけで、反戦・平和の意識や行動には直結しない。
いったん戦争が始まれば、国は戦っていても、それが直接的にわたしを守ってくれるのではない。戦争は国が始めるのであって、戦争当事者は国対国である。国対国の戦争においては、国民個々の安全保障など要求するほうがおかしいわけだ。もちろん、損害賠償もない。
戦争が始まったとたんに私は消えて、まさに国民個々は国の手足どころか、よくて全体の釘かピンの存在でしかない。実際、先の戦争では、1銭5厘の葉書一枚で徴兵されて、いまだ、いつ・どこで亡くなったのかさえわからない人々がたくさんおられる。「人の命は地球より重たい」のではない。1銭5厘か、それ以下である。
戦争を忘れまい、語り継ごう。ただし、戦争が発生してからの戦場や空襲などの悲惨をいくら語り続けても、戦争を防止する力にはならない。大事は、なぜ国が戦争を始めたのか?! わたしは戦争することを選択したのか。戦争しか選択肢がなかったのか。わたしは戦争には反対だったが、巻き込まれてしまったというのは、やはり、戦争を選択したのと等しい。
石破氏は、8月15日の戦没者追悼式で、「戦争の惨禍を決して繰り返さない。進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません」と述べた。首相だから、その言葉の主語は国の支配者としての反省であろう。しかし、支配者がやらないと言っているから安心だ。というわけにはいかない。
鈴木貫太郎(1867~1948)は戦後、「戦争というものは、したくなくてもいつの間にか戦争になっているものだ」と述懐した。悪意がなくとも、それとなく戦争責任から身を引いている。
わたしは、戦後の民主主義下で育った人が増えれば反戦・平和意識は当然増えると、早とちりした苦い思いをかみしめている。歴史は個人が考えるものである。意図的に歴史を改変する人はいる。歴史を「まとも」に見ようとする人ばかりではない。いつの時代も。戦争を語り継ぐのは大仕事である。
