論 考

ケジメを付ける

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 もう40年程度昔、わたしが組合役員当時の記憶である。いまとは異なって春闘か大騒動であった。いつの交渉でも終われば、職場集会などで「もっとやれなかったのか」「執行部は弱腰だ」など、ぼろくその批判が出ることも少なくなかった。当然ながら、手抜き、労使なれ合いなどやるわけがないのだが、組合員の要求が厳しく切実だから仕方がない。

 ある春闘前の執行委員会で、書記長が「春闘の交渉日程を決めてきました」と報告した。まったく闇雲に労使交渉を繰り返すわけにもいかないから、事前に労使でおおまかな交渉日程を組むのである。書記長報告はいつもより細かく交渉の流れをつくるような気配あった。書記長は以前も長く中央執行委員であったが、一旦支部役員に復帰し、再び中央へ戻ってきたベテランである。

 ちょっと先走り過ぎるのじゃないかと思っていたら、ふだんは寡黙で発言しない委員長が、越権だ、そんなことまで勝手に決めるなと少し怒気を含んで発言した。そして、君たちの今後のことがあるから言うのだが「ケジメが大事だ」と説諭した。わたしは思わず拍手した。

 ここでケジメには二つの意味がある。労使のケジメが一つ。賃金交渉は喧嘩ずくではないが、内容まで事前に取り決めできるような甘いものではない。賃金交渉は企業にとってはコストであり、組合員とっては生活をかけている。いずれも極点にいえば自分の存在をかけている。もう一つは、目的と手段の取り違えをしてはならぬという、戒めだ。

 いまの労働組合の役員のみなさんはどんなケジメを感じているろうか。

 さて、けじめがつかないのは外から見ていても情けないものだ。自民党を見ればよくわかる。裏金問題のケジメをつけなかったから、最近の三つの選挙に敗北し、党内に危機感が走っていると言いたいところだが、石破が総裁を辞めないからすったもんだが続いている。

 あえていえば、裏金議員のように石破もまた居座りを決めているだけだ。責任のなすり合いしてすべて丸く収まるわけがない。みっともないだけではない。これではますます泥沼に沈んでいくのではないか。