論 考

熱くなるだけではダメだ

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 参議院議員選挙が公示された。

 既存政党と新興政党の違いは歴然、公設掲示板へのポスター貼り出しの速度まったく異なる。

 さっそく各党による党首討論や選挙公約の比較が報道されるのだが、もう一つピリッとしたものが感じられない。暑い最中、街頭演説を聞いている人々の写真を見ると、だいぶぶんはたまたま通りかかったにしても、有権者としての眼差しが感じられて、穴倉に蟄居している自分としては感心するばかりである。

 報道内容を自分なりに考える。大言壮語、われこそはの熱は感じないでもないが、公約抱負に惹きつけられるものがない。

 イデオロギーめいた主張をするのは新興政党組だが、ずいぶん古めかしい政治的センスに聞こえて仕方がない。相対的に、珍しさが売りになっていると思われる。かつてイデオロギー論争賑やかなころを体験してきたわたしは、こういう陳腐な政治観では、お説のように日本を救うことなど絶対にできないと思う。

 それにしても先輩政党も似たり寄ったりの批判合戦でシマリがない。

 物価高を槍玉に上げるのはいずれの政党もだが、なぜ物価が上がっているのか分析した発言がない。消費税引き下げ論にせよ、現金配給論にせよ、原因に対する対策ではないから、どうしも迫力を欠く。バラマキといえば、すべての党がバラマキでしかないように見える。

 消費税が物価を引き上げているのではない。現金を配給しても、極めて一時的なお手当でしかないから、物価対策はならない。米価も、政府備蓄の放出米以外は下がったという実感がない。放出米以外は「ブランド米」だから、まさにマイウエイを行っている。

 本腰入れて財政再建論をぶつ政党が一つもない。見事なものだ! 無法高関税が効いてきて世界経済が傾き始めると、何が起こっても不思議ではない。世界一財政劣化の日本が、世界経済が荒れ始めたとき無難に対処できるわけがない。

 日本国が社会をきちんと維持していくためには、税制、財政、社会保障が整然と維持されなければならない。鉄砲玉が飛んでくるだけが危険なのではない。最も怖いのは、社会が内側から壊れていくことだ。一度、そんな事態にはまり込んでしまったら、再建するのは非常に困難である。

 人々は、個人生活の中身まで政治に期待しない。政治家は、社会生活を維持するために、しっかり社会制度をメンテナンスするのが仕事である。

 言っても仕方がないと思いつつも、「あなた方が当選するかしないかが政治ではない」と言っておく。