筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
国会が会期満了で閉会、7月3日公示、20日投開票の参議院議員選挙が間近である。
会期末には、立憲民主党が内閣不信任案を出すか、出さないか。石破氏は不信任案が提出されたならばただちに解散に踏み切ると意思表示していたから、不信任案、解散、衆参同時選挙が政治ネタになった。
野田氏は、厄介なトランプ関税問題を抱えており、ここで政府の足を引っ張るべきではないとして、不信任案を提出しなかった。
今度は、それでは自公ブラス立憲民主の大連立か。と政治通は取り沙汰する。話が極端に振れているとわたしは思うが、永田町政治に詳しくなると、そのような推論展開になるようだ。
立憲民主党内部でも、不信任案を出さないのは日和見主義だ、弱体政権を倒す好機なのに、なぜやらないか。野田氏が政権を取りに行く腹が座っていないと文句を言う向きがあるやに聞く。政権を取らない政党は置物の猫と同じで政党ではないという、常時主戦論の立場である。
もっとも至極な主張であるとも思えるが、少し考え見ると、常時政権奪取を目論んで行動するのは、議会政党とはいえない。
なぜなら、議会活動は政策を実現するためであり、政権獲得以外に政策実現の方法がないわけではないからだ。
日本は、議論が上手な議会ではないが、それでも民主主義の議会であり、他党の意見は意地でも聞かぬというがごとき不心得者は与党の中にもいないだろう。
党の基本方針が水と油のごとくに異なっていて、白か黒かというような対立問題であれば議論の余地がない。しかし、目下は主要論争点となるとされる物価対策について、全党挙げて「バラマキ技術」を競う程度である。とてもじゃないが、いずれが政権獲得するかというような論争は起きない。
だから野田氏の判断は批判されるほどの大問題ではない。
それなら大連立と振るのもしっくりこない。そういう話が起きやすいのは、わが政党は、長年政権政党であり続けた自民党を軸として、ものごとを考える習性にはまり込んでいる。
こんな状況で、大連立などに踏み込めば、わが国民はますます政治に背中を向けるだろう。ヘイト演説をやるような政党が存在感を示すのは、まさに政治における自然的摂理(こんなものがあるかどうかは知らぬが)であって、もっと性根を入れて政治をやらねば政治全体が溶解するぞ、という兆候であろう。
ネットを駆使するのも大事ではあるが、まずは、政党・政治家各位が、自分が実現したい政治的見識を磨いてもらいたい。政党・政治家はお買い得を運んでくるスーパーのチラシであっては困る。