筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
ハル・ステビンス著『コピーカプセル』に、「大衆はパレードを愛するだけでなく、大衆自身がパレードである」というコピーがある。
トランプが、それを知っているかどうかはわからないが、陸軍創設250周年記念という名目で4500万ドルを投じてパレードをおこなった。兵士6700人、車両150台、航空機50機ほどだから、さして大規模ではないものの、本音はトランプのお手盛り誕生祝だから、使いこみ、汚職だ。
一部退役軍人らが軍の政治的利用だと批判しているが、そのようにレベルの高い? ものではない。まさに低俗、品性下劣、労働者の味方を騙っているだけだという性根が露見した。
全米2000カ所で「NO KINGS」の抗議デモに数百万人が参加したのが、デモクラシーの再建の狼煙であってほしい。
世界が軍拡に走っている。軍事力を高めても、国際的信用は高まらない。他国からすれば不信感を高める一方で、軍事的緊張の昂進、ますます世界平和を破壊させるばかりである。
政治家は、軍事力への投資を手柄顔だが、まったくのトンチンカン。自分たちの政治力、外交力の劣化を示すばかりだ。
外交力の劣化は、国内政治の劣化と比例する。それを隠すために、他国の悪口を積み重ねるという悪循環である。
軍事パレードは、外交力の無さを反映している。大国だろうが、小国だろうが、その構造は同じだ。
「大衆自身がパレードである」という言葉は、含蓄が深い。世間は厄介だとか、孤独になりたいなどとつぶやくけれど、現代に生きるすべての個人が社会的存在であり、社会が有効に機能するからこそ平穏に暮らせる。だから、パレードは連帯と平和の象徴である。
トランプごときは、まったくわかっていない。社会に分断を持ち込んで、政治家自身が社会を破壊しようとする。
軍事パレードを復活するようなアメリカは、それ自体が退潮過程にあることを示している。