週刊RO通信

神話の世界を抜け出さねば

NO.1616

 おとぎ話の桃太郎は、いまや岡山の吉備団子くらいのものだが、アメリカでは78歳のPeach Boyが、世界中の鬼退治をするとまくし立てている。アメリカはおとぎ話の国だ。大人のおとぎ話=神話の国だ。

 わたしは大人への入り口で神話を映画に見た。中学卒業、高校入学のお祝いに、母親がプレゼントすると言うので、連れ立って映画を見に出かけた。田舎である。あけぼの館という映画館が一軒あった。

 最初に見たのが『年上の女』(1959)で、主演シモーヌ・シニョレと相方がローレンス・ハーベイ、15歳の未熟な少年にはわかったかどうかあやしいが、文化の香りが高い映画で、人生の哲学に触れた心地がした。

 社会人になって数年、徒弟奉公意識が抜けず焦っていた。大阪梅田の北野シネマに出没するようになった。1961年に始められたアートシアターギルドATGの常設館である。フランス、ヌーヴェルヴァーグの流れを汲み、非商業主義的芸術作品を上映し、若手映画監督の育成にも尽力した。

 おおかた忘れたが、『野イチゴ』(監督ベルイマン)、『去年マリエンバードで』(レネ)、『華氏451』(トリュフォー)、『ベトナムから遠く離れて』(マルケルら)、『エロス+虐殺』(吉田喜重)、『肉弾』(岡本喜八)、『憂国』(三島由紀夫)などのタイトルを記憶している。

 ハリウッド映画は疎遠になった。幌馬車に迫るインディアン、はらはらしながら見るのだが、実は、インディアンが被害者で、幌馬車が侵略者の象徴だと気づいたからには、とても見る気が起こらない。

 『栄光への脱出』(プレミンジャー 1960)は、ユダヤ人がイスラエルをめざすドラマで、挿入歌のEXODUSも大ヒットした。記憶に残る映画だが、同時期にパレスチナのナクバ(大災厄)があった。いま、イスラエルがジェノサイドを犯しているとしか言いようがないのを見ていると、これまた、桃太郎と鬼の倒錯関係で、映画の後味の悪さが現在進行中だ。

 ハリウッドがアメリカ的国策で映画を制作しているとは思わないが、底抜けに娯楽に徹する作品が、意図せざるとしても、アメリカ的プロパガンダの有力なお先棒を担いでいる感は否定しがたく、どうも、見る気が起こらない。

 今年は、ベトナム戦争終結50年である。あの戦争で、ベトナムの人々300万人が殺害された。アメリカ兵も5万8000人が亡くなった。しかし、戦争はまだしぶとく続いている。以後も不発弾で2400人死亡、5100人が負傷した。汚染面積は600万ヘクタール、全国土の18%だ。

 アメリカ軍の枯葉剤作戦は1961年から71年まで続いた。480万人が被害をうけたとされる。これも、先天性障害、発がん、免疫系疾患など継続している。

 トランプは、米国際開発局USAIDの継続を不透明にさせた。これらの被害への対策が放棄されるのではないか。非常に危惧されている。

 さらに大きな問題がある。アメリカはベトナム戦争の反省をしていない。ベトナムの人々は民族独立を掲げていたが、アメリカは、ベトナムが共産化されてはならぬとして、反共十字軍の旗を立てて戦争した。桃太郎の鬼退治である。桃太郎の正義は決定的に怪しい。そして敗れた。

 アメリカ帰還兵の多くが、戦争のトラウマに苦しむ。レーガン(在1981~89)は、帰還兵を「英雄」として持ち上げ、ベトナム反戦運動を矮小化し、やはり桃太郎は、正しい戦争をおこなったのだという暗黙の雰囲気をつくることに成功した。ハリウッド的宣伝力の成功である。

 続く、ブッシュ(子)が、湾岸戦争から、イラク・フセインが大量殺戮兵器を隠しているとでっち上げてイラク戦争を起こし、アメリカが世界の桃太郎としてのムード盛り上げに手柄を立てた。

 おとぎ話や神話は、はじめは人々の蒙を啓く機能を果たす。人々はそこから明晰な思考へと進んで文化文明を作り上げた。しかし、思想が権力に服従するようになると、啓蒙それ自体が神話へ退化する。(『啓蒙の弁証法』)

 わたしたちは啓蒙された時代に生きているはずだが、矛盾を見極め、克服するための批判的思考の本領を忘れると、おとぎ話や神話の世界に迷いこむ。啓蒙自体が退化する危険性を常にもっている。忘れないようにしたい。