筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
自民党の森山幹事長が、「国債残高1182兆円で余裕がない。財源を伴わない減税の政策はポピュリズムだ」と批判した。
さすがは政権を長期に担ってきた自民党幹事長である。実に筋の通った主張である。と評価するべきだが、その言葉だけでは素直に支持しかねる。
なぜなら、議席確保に予算を都合よく使ってきたのは、ほかならぬ与党である。土俵際のうっちゃりというわけにはいかない。
とくに安倍政権時代には、日銀は政府の子会社だから、いくらでも国債を発行して構わない、と安倍自ら全国を大吹聴して回った。野党をポピュリズム攻撃する以前に、いくばくかの反省らしきものがほしい。
自民党は選挙戦を控えて、しばしば減税を打ち出した。いわば、票を減税やバラマキという投げ網でからめとってきたご本家は与党である。
森山の正論が目立つ分、過去のご乱行を思い起こさずにはいられない。
ところで、いまやポピュリズム(Populism)は、低俗政治のレッテルとして使われているが、もう少し慎重に考えねばならない。
ポピュリズムは人民主義、人々の考え方・感情・要求を代弁するという政治・運動である。人民の・人民による・人民のための政治=民主主義と、本来同意義である。森山だけではなく、ポピュリズム批判をする場合に、それを否定するわけではなかろう。
つまり、一般にポピュリズムとして批判しているものは、票のために利益誘導することであり、税金というカネで票を買おうとすることである。
ついでにいえば、税金というのは政治家・政党が票を買おうとする人々から召し上げた浄財(いかにも古い言葉だが)なのである。人々の生活が苦しくなるような徴税自体がまともな政治ではない。
票を買うのは選挙を歪める思想である。
そこで、昨今いわれるポピュリズムは、表現を変えねばならない。ケータリング政治(catering)とか、フラッタリング政治(flattering)、つまり、「媚びる」政治というのが適当だ。
さて、生活が難儀だという声は大きくなっている。これは、なんとかせねばならない。そして、財源をどうするか。フラッタリング・ポリティシャンと悪評価が固まらないようにするには、与野党問わず、すべての政治家が問われていることをお忘れなく。
いまの政治全体が媚びる政治家によって動かされているという懸念は消えない。
