筆者 新妻健治(にいづま・けんじ)
停滞する経済、積み上がる国家債務、経済格差の拡大と富の偏在、社会的分断等、日本の現在地は、問題が山積している。そして、ポピュリズムが横行する。日本は、なぜこうなったのか。「正しい現状認識」を共有し、根本的な問題を明らかにしなければ、大衆迎合的な政策の繰り返しでは、国民を塗炭の苦しみに陥れてしまうという危惧がある。
これらの問題事象は、資本の過剰ないし飽和を意味し、自己増殖を不可能にするという資本主義の終焉を示唆する。これ以上の資本の増殖を求めれば、歴史の危機を生むという問題提起がある。資本主義が、人類社会の持続可能性の危機を招くと考えれば、私は、資本主義を乗り超えなければとの思いを強くする。
日本の現在地
1970年代初頭の石油危機以降、世界経済は、グローバル化が進展するとともに、金融化、情報化、デジタル化、サービス経済化へと、大きく構造変化した。そして現在、GAFA(*1)に代表されるような、新たな物的投資を必要としない巨大なビジネスが生まれ、世界中を席巻し、膨大な収益を上げている。このような変化は、資本主義の非物質的転回(*2)と呼ばれる。
方や、敗戦後の日本は、製造業を中心とした産業資本主義、つまり物的資本主義による高度経済成長という成功を経て、現在に至っている。この物的資本主義の中心軸は、すでに中国・東南アジア等へと移ってしまった。しかし、日本経済は、国内市場の規模の大きさに甘んじて物的資本主義を温存し、非物質的資本主義という世界的な構造変化に対応できていない。
そして依然、「経済成長が、すべての問題を解決する。」という成功体験を捨てきれずにきた。ゆえに、その成功に適合的に構築されてきた、社会保障をはじめとする日本社会の仕組みは、この間の経済社会の大きな変容に対して、機能不全を起こしている。
日本の問題事象
過去30年、日本経済の成長率は平均0.85%であり、これは、「ゼロ成長経済」という 事態にある。この間、主に景気浮揚を目的に為された財政出動は、90年代後半から増加を始めたが、機能せず、政府の債務残高は1,466兆円にも積み上がってしまった。
また、20年以上にもわたって「ゼロ金利政策」が展開されたが、経済は浮揚せず、結果、国民から企業へ巨額の所得移転が為されただけとなった。その企業は、果敢な投資ではなく、雇用労働者の非正規化を進展させ、実質賃金を抑え込むことで利潤を確保し、内部留保を約600兆円も積み上げている。
その結果、6人に1人が相対的貧困状態(国民の所得中央値の50%未満の所得しかない)であり、これは先進7ヵか国で米国に次いで下から2番目の位置にある。にもかかわらず、個人金融資産は、約2,212兆円と、これまた膨大に積み上がっている。資本主義の非物質化と物的資本主義の衰退という経済の変容は、これまで豊かであった所得中間層を掘り崩し、所得の二極化をもたらし、その格差は開くばかりだ。このような30年を総括すれば、国家・国民は敗れ、資本が勝利したと言えるかもしれない。
また、この長期に低迷する経済、日本社会の仕組みの機能不全、所得の二極化と貧困の拡大の問題と重なり合いながら、社会関係や家族関係は希薄となり、人びとは孤立し、多くの人が社会的居場所を失い、承認欲求が満たされず、不満と不安に苛まれている。
横行するポピュリズム
そしてまた、世界情勢の変化、異次元の金融緩和がもたらした円安により、国内物価は高騰し、あげく、失政による米価の高騰が拍車をかけ、国民の生活はひどく圧迫されている。これが、日本の問題事象に拍車をかけて、人びとの既存政治に対する不信を極大化させている。ここに、批判的で扇動的な働きかけにより、社会的な変容に苛まれる人びとを政治的に動員して利用するポピュリズム勢力が、勢いを増す要因がある。
さらに、夏の参議院選挙に向けて、野党を中心に、「減税ポピュリズム」が横行している。政権与党の自民党幹事長が、消費税減税に対して、安定財源確保の観点から、その批判に回っている。長年、政権維持の手段として税と補助金を操ってきた立場の自民党が、この期に及んで、まともに見えるという転倒性に、苦笑するしかない。
ところで、日本は、なぜこのような問題に行き着いているのだろうか。どの政党も、どの政治家も、この問題の本質を、「正しい現状認識」として、国民と共有しようという働きかけが無い。なぜなのか、私には理解できない。
問題の根本を明らかにしないのであれば、毎度毎度、国政選挙と政局に翻弄されながら、日本は、付け焼刃的な政策を繰り返し、挙句の果てに、過剰債務から国際的な信用を失い、国民を塗炭の苦しみに追い込むことになる。私は大きな危惧を抱く。
資本主義の終焉と歴史の危機
このような事態について、私たちは、どのような認識をもつべきなのだろうか。私は、問題をより根本的に追求し、「正しい現状認識」に到達すべきだと考える。そこからしか、正しく次代に臨むことはできない。
経済学者の水野和夫は、日本経済の現状に対して、長期金利の指標となる10年国債の利回りが有史上最低(2020年3月)となったことについて、それは資本の過剰ないし飽和を意味し、自己増殖を不可能にし(自己増殖の不可能は、資本主義の終焉を意味する)、さらに成長を望めば、社会に御しがたい溝(経済格差による分断)という、歴史の危機をもたらすと提起している。(*3)
資本主義という社会経済システムが限界に瀕しているのに、それを維持しようとすれば、尋常でない問題事象を常態化させ、社会は歴史的危機に瀕する。
これは、次のシステムを擁する次代への転回の局面であることを示唆している。私たちは、まさにそういう事態に、直面しているのではないだろうか。そして、資本主義は、際限なき資本蓄積という本質的衝動から、気候変動、資源枯渇、世界的な格差分断という人類社会の持続可能性に危機をもたらしている。猶予はない。
社会的投資国家へ(資本主義の新しい形)
資本主義が世界の社会・経済の中心的なシステムとなって約500年、産業革命からの産業資本主義の勃興から260年余り、日本の産業資本主義は、明治期以来約160年が経過した。その最先端に生きる私たちは、「そうではない社会」、つまり資本主義ではない社会を、微塵も想像できない。ゆえに、資本主義がもたらす危機と言われて、たじろがざるを得ない。
このようななか、社会的投資国家への転換という提起をなされている。社会的投資国家とは、国家が資本主義市場経済に依存していては、資金が十分に供給されない、人的資本、自然資本、社会関係資本に係る公共目的に資する分野に資金を投じ、更なる経済発展と、現存する社会課題を解決しながら長期的社会発展を図る体制を言う。
そのなかでも、資本主義の非物質的転回に乗り遅れた日本においては、積極的労働市場政策を通じて、非物質的資本主義において重要な無形資産を生み出す、人的投資を中核とし、「新しい資本主義の形」を目指すというものだ。(*4)
しかし、対応すべきとする資本主義の非物質的転回は、限られた能力の人材需要しかなく、多くの雇用は生み出さない。同時に、AIの進化と深化によって、経済格差の二極化に拍車がかかる。
同時に、資本主義は、形を変えても温存されるわけだから、自然資本の維持へ向けられる資金も、時間稼ぎにすぎない。加えて、人間を生産の手段として、資本の自己増殖を図るという資本主義の本質的な問題も温存される。
ゆえに、資本主義の形を変えることは、人間を幸せにし、地球の持続可能性を維持するものとは、言えないだろう。
資本主義を乗り超える?
私は、資本主義を乗り超えることを考える。「超える」とは、資本主義とは相違する社会経済体制を目指して実現していくという意味だ。それで、人間の幸せと、人類社会の持続可能性を確立していくことができるのではないか。
現生人類の歴史は約30万年と言われるが、資本主義の歴史は、その2%にも満たない。人類は、資本主義に至るまでの約98%の時間を、どのような原理にもとづいて命を紡いできたのか。夢想かもしれないが、このような切り口で人類史ないし世界史を紐解けば、私たちは、資本主義の結界を破り、次代社会の原理を導くことができるのではないか。人びとが、人間としていかに生きるべきかを考え、それを厭わず実践し連帯していくことが、次代への転回の根本にあることだけは間違いないのだが—-
さいごに
組織を牽引してきた私には、行動規範としてきたことがある。
一つは、「遠くを見る者は富み、近くを見る者は貧す。」というものだ。より遠くに実現すべき理念やビジョンを描き、また描いて取り組むのであれば、日々の判断と行動は、そこに向けて整合的に積み重ねて行くことができるし、この長い道のりで得るものが多いと考える。
もう一つは、すぐには実現しえない大切な課題は、多くの時間を要するから、直ちに始めなければ、その未来を手にできない。優先順位を高くして取り組むべきである。
<注釈・参考文献>
*1 GAFA グーグル、アップル、フェイスブック(現メタ)、アマゾンという巨大情報企業の頭文字を並べたもの。
*2 資本主義の非物質的転回 従来の物質的な生産や消費から、知識、情報、ブランド価値、ビジネスモデル等、無形資産が中心となる経済へと変化していくことを指す。
*3 『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫 集英社新書 2014年
*4 『資本主義の新しい形』諸冨徹 2020年 岩波書店