週刊RO通信

まともか、まともでないか

NO.1613

 オーストリアの精神医ヴィクトール・E・フランクル(1905~97)は、ウィーン大学医学部精神科教授、市立病院精神科部長であった。1938年ナチがオーストリアを併合し、42年にフランクルの一家は強制収容所へ送られた。彼と別の収容所で、父母と妻が殺された。彼は44年10月にアウシュヴィッツへ送られたが、翌年4月に連合国軍によって解放された。

 その酷烈な収容所生活を、彼はひそかに速記の記号を使って小さい紙片に書き残した。それが『それでも人生に然りと言う―強制収容所における一心理学者の体験』(1947年)として発行された。1956年邦訳『夜と霧』(霜山徳爾訳 みすず書房)として出版され大きな反響を呼んだ。

 邦題「夜と霧」は、41年12月6日、ヒトラー総統特別命令「夜と霧」(Nacht und Nebel 略称NN)にちなむ。「ライヒおよび占領地における軍に対する犯罪の訴追のための規則」の名前だ。作曲家ワグナーの大ファンであるヒトラーが名付けた。ワグナー楽劇『ラインの黄金』で登場人物のアルベルヒが、「夜と霧になれ、誰の目にも映らないように」(Nacht und Nebel, niemand gieichi)と呪文のように唱えるところから来ている。

 NNは、占領地域における政治活動家やレジスタンスの支援者などから、ドイツの治安を危機にさらす人物を選定して、夜中に捕縛し、数百マイル遠方へ連行する。処刑または強制収容所へ送り込む。行方不明者の情報は一切消してしまう。それによって家族や知人などには効率的かつ永続的な威嚇をもとらすという狙いだ。第二次世界大戦後のニュルンペク裁判で暴かれたが、徹底的に資料を消滅させていた。

 強制収容所での「身体を打ち壊せ、精神を打ち破れ、心を打ち破れ」という標語の完膚無き人間性抑圧と、人間の存在を全く消してしまう非人間性はナチズムの精神的荒廃を示すものであり、NNの名称を楽劇から引っ張ってくる「趣味」は質が悪すぎるとしか言いようがない。こんなものは知性と言えない。

 フランクルは、著書は強制収容所のドキュメントとして書かれたものではないと語っている。ただし、世間一般読者の視線はどぎつい記録に集中した感がある。もちろん、記録としての史実的価値が高いのはまちがいないが、フランクルが「一心理学者の体験」と題したことの奥深い意味を受け止めて理解しなければならない。

 わたしは、5月3日の憲法記念日に終日、フランクルの言葉を考えていた。いまの世界は、ノンシャランに過ごしてならないのは当然だが、めちゃくちゃに思えて思索する手がかりが容易につかめない。なぜ、多くの国の人々は、せっかく手にした民主主義を本気で育てようとしないのだろうか?

 いつも頭にあるのが、魯迅(1881~1936)の言葉だ。彼は、民国革命の際、「封建清朝を倒すのは比較的容易だったが、これからが難しい。民主主義は一人ひとりが主権者だから、一人ひとりが成長しなければならない」と語った。それに、建設することは破壊するよりも格段に難しい。更地にして黄金郷をつくるなど不動産屋の単細胞思考、露悪趣味でしかない。

 強制収容所の囚われ人は、労働が可能でないと葬られる。生きて復帰できる可能性が絶望的な状況においては、(皮肉だが)異常な反応が正常な行動である。人々は無感動、無感覚になる。そして、嫌悪、戦慄、同情、興奮などの人間的感情が消える。無感動こそが囚われ人の心を包む装甲だ。

 すべてを生命維持に集中する。徹頭徹尾の無感動。ところで、これは人間としての心を失って生きるのだから、人間として生きていないことになる。つまり、生命力も失われる。稀ではあるが著しく内面化傾向のあった人は人間を維持した。恐ろしい周囲の世界からも、精神の自由と内的な豊かさは消えなかったという。精神的・人間的に崩壊した人が、(結局)収容所の世界にはまっていく。

 フランクルは、未来に一切の希望が見いだせなくても、「それでも人生にYesと言う」という心境に到達した。「人間が、人生の意味とは何かと問う前に、人生のほうが、人間に対して問を発している。生きる意味を問う必要はない。―(人は)人生からの問いに答えなくてはならない」。

 自分の人生をどこまでも肯定して生きる。フランクルと魯迅の言葉を重ねて考えると、やはり、そこから出発して歩き続けるしかない。これが、おそらく「自立」の核心であり、自立した人間が、「人間の尊厳」や主権在民の名に値するのだろう。安直な回答ではないが、考え方の柱にできるような気がする。まともで行こう。