筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
アメリカのルビオ国務長官が、「ウクライナ・ロシア和平交渉について、両国が具体的提案を示さねば、アメリカは仲介から手を引く」と警告した。
トランプが仲介した経緯からすると、トランプの提案はプーチンの希望に沿うものであっても、ウクライナが直ちに応諾できるような内容ではない。
トランプとプーチンは緊密な関係だろう。しかし、ゼレンスキーとは依然としてぎくしゃくしたままである。
トランプが、自分なら24時間で停戦させると吹いたのは、まったくの冗談ではなかろう。もとより選挙戦術で、自分を大物に見せる演出ではあるが、まったく成算なくして吹聴したとは考えにくい。
ゼレンスキーが、トランプはプーチンに欺かれていると指摘したのは事実だから、トランプは頭にきて、ゼレンスキーに傲慢不遜なふるまいをした。
ここへきて、プーチンの手の上で踊らされていることに気づいたと同時に、兵糧攻めでウクライナを従わせられないから、介入の作戦を変えて、両国から停戦の提案を求めたのである。
しかし、プーチンが本気で譲歩する気配を示さないのに、被害側であるゼレンスキーが容易に提案できる筋合いではない。プーチンの悪知恵を知り抜いているのであり、かりに半端な譲歩を示した場合、ろくなことにはならない。
プーチンも、積極的に譲歩する気はさらさらない。なにしろトランプが初めから手の内をさらけ出したのだから、それ以上、なにを譲歩するのかという話だ。
いずれにせよ、トランプにすれば、自分がこれ以上頭を悩ますのはかなわないから、両国の提案を待つというのである。
事態を動かすような提案が出れば上等、出なければトランプは両国とも停戦する気がないだから、これ以上仲介はしない。厄介から遁走する作戦であろう。
バイデンが、本当に世界平和構築のために尽力する精神であったかどうかはわからないが、少なくとも、力とカネがすべてだという露骨な態度ではなかった。トランプは、その点率直であって、力とカネが秩序の基準である。
だから、力もカネもないウクライナにテコ入れする必要を感じない。なんとかしてやろうと言うのに、分不相応に注文つけるゼレンスキーが悪い。これが、トランプの本音だ。アメリカが世界平和の義務を担う義務はない。国際主義、多国間主義など、自分の公約にはない。
むしろ、これからアメリカがうまくやっていくためには、左翼やリベラルの連中が語るような普遍的価値! というようなわけの分からぬものではなく、力とカネという現実的な価値である。
トランプは、アメリカが覇権を維持するのはおしまいだと認識しているだろう。余計なことに手を出さず、力とカネでうまく関係をつくる。それがトランプ流取引のコンセプトである。
トランプにしてみれば、ウクライナ戦争から手を引くのは痛くも痒くもない。心配なのは国内の人気だけであるが、ウクライナ戦争の介入を止めても、批判よりも支持のほうが強いだろう。
ベトナム戦争(1960~1975)でアメリカは、北ベトナム、南ベトナム民族解放戦線と戦った。ベトナム人300万人を殺害し、アメリカ兵も6万人が死んだ。そして敗北した。しかし、反省しなかった。それに比べれば、ウクライナを見放すくらいは、大事ではないと考えても不思議ではない。
アメリカは国際的に力を失ったというのが、いまや定説である。そうであれば、ウクライナ戦争を止められないのも当然ということになる。
力とカネの大国に期待しないとすれば、普遍的価値を掲げる各国の人々としては、文字通り、国際的「民主主義」を推進しなければならない。覚悟して、国際連合運動を推進するのみである。これが、これからの世界が向かうべき流れではないだろうか。