筆者 高井潔司(たかい・きよし)
政府の備蓄米放出にもかかわらず、備蓄米は消費者にはほとんど届かず、米の価格は一向に下がらない。消費者のイライラは募るばかりだろう。私もその一人だ。大正期なら米騒動も再燃したであろうが、いまや日本国民も文明化し、反政府運動など起る気配もない。
マスコミの報道も冷静、客観的で他人事のようである。農林水産省は24日、備蓄米の試食毎を開いた。読売新聞は経済面で、江藤農林大臣が「どれもうまい。差が分からない」と述べたと写真入りで報道している。NHKも同様の報道をしていた。PRは結構だけど、多くの消費者の食卓に届いていないのに、そんな呑気な発言を何の批判もなく報じるのは、メディアの責任を放棄しているとしか言いようがない。
大正の米騒動では、新聞も抗議活動に参画し、「白虹事件」という新聞紙上でも特筆される政府の新聞弾圧事件が起きた。そんな事件の再発を期待しているわけではないが、昨今のコメの高騰や備蓄米のその後について、余りにも報道の姿勢がなっていない。恐らく新聞社内で、この問題を、政府や大企業の記者会見だけの報道しかしない経済部に任せ、消費者サイドから取材する社会部マターになっていないからだろう。
ところが、呑気な農水大臣も、アメリカからコメの輸出拡大を求められると、一転して、コメは食糧安保の要であり、輸出の自由化などもってのほかと主張する。しかし、食糧安保の要というのなら、生産者を守るだけでなく、消費者のところにまでコメを確保するのが農水省の使命であろう。備蓄米の放出もコメの輸入拒否も、自民党に多額献金する農協を利する。大臣のいう食糧安保の安全保障とは、自民党にとっての大票田である農民票の維持のことなのだ。
アメリカは日本にとって絶対な同盟国である。米の不足が恒常的であるなら、同盟国アメリカに食糧安保において支援を仰ぎ、コメの輸入を進めることに何の不思議もない。資源も食糧自給もままならない国、日本。米が安保に関わるというならそれと同様にエネルギーも安保に関わる。自給可能な米と不可能なエネルギーとは違うというが、今、米は備蓄米までも食卓に届かないというのは、自給できないということでしょう。
減反政策を見直せば、自給できるというなら、早急にやってほしいが、そうした動きは全く見えない。今後の農業後継者の不足を考えても、いつまでも自給、自給などと言っておれない。日本にとって、大事なことは平和な環境と自由貿易の体制を守り、食糧やエネルギーの需給を安定させることだ。
本欄でこのところ何回か引用した戦前の自由主義者、清沢洌はある著作の中で、戦前の呑気な日本の政治家がアメリカを訪問し、「米を主食とする日本と米国は本来仲良くあるべき」とあいさつしたとの笑い話を紹介していた。アメリカ人にとって、米国なんていう呼び方は理解不能だろう。
日本ではアメリカを漢字化すると、米利堅(メリケン)、それを省略して米国となる。フランスは仏蘭西、省略して仏国となるが、いまどき新聞でも仏国などと書かない。とすれば、米国もいい加減止めたほうが良い。そのうちトランプ氏が勉強して、米国と呼ぶなら米の国から米を輸入するのは当然だと迫って来るかも知れない。メキシコ湾をアメリカ湾と改名したトランプ氏なら言い出しかねないよ。
*白虹事件 1918年大阪朝日新聞の、寺内正毅内閣の批判記事中に、君主に対する反乱を示唆する「白虹日を貫けり」の言葉があったことから、記者らが起訴され、村山社長に対する右翼の暴行も発生、社長や編集局長鳥居素川らが退社した。