筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
郵便局の7割で、貨物自動車運送事業法に定められた乗務前後点呼義務が果たされていないという。新聞記事を読んでも、通り一遍で、問題に接近していないような気がする。
四半世紀ほど前、わたしはある県の郵便局の労働組合に依頼されて、組合員100人にインタビューをおこなった。働く人の意識調査である。とくに印象に残った話を紹介する。
Tさんはポストマンである。実直な人柄が一目でわかった。中学を出て、この道一筋、あと5年ほどで定年である。ひとしきりやりとりが終わった時、彼がこんなことを話した。
「わたしの父親は大工で何軒も家を建てました。子供時分、一緒に町を歩くと、父親が、『この家はわしが建てた。ここを工夫したんだ』と嬉しそうに話すのです。わたしはもうすぐ定年だけど、何も残したものがない」
他のポストマンのインタビューでは、「この辺について、わしはゼンリンの地図より詳しく知っている」とか、花粉症で顔を覆面しているが、目が真っ赤で、それでも郵便配達は好きだという調子であった。
もちろん、Tさんも誠心誠意郵便を配ってきた。しかし、思えば何も残していないなあ、という寂しい気持ちを吐露された。
「配達区域には山深いところもありますね。嵐や大雪で大変なことがあったのではないですか?」
「もちろん、気象のいい時ばかりじゃないし、危ない思いもしました。」
「そんな時、郵便を届けた方はどんな様子でしたか?」
「ひどい台風のときなんか、手を合わせるみたいに喜ばれましたね」
「そうでしょうね、わたしも子供時代は大変な田舎に住んでいて、自転車で雨をついて走っていくポストマンを尊敬しました」
気障かもしれないと思いつつ、「先日、道路会社で働く人にインタビューしたら、夏休みに家族で北海道旅行して、自分が工事に関わったところで車を止めて家族に自慢したと話されました。世の中にはいろいろな仕事がありますが、お父さんのように形が残るものは少ないでしょう。
形は残らないにしも、ポストマンの仕事は、人の心から人の心へ、心を配達する、いい仕事ではありませんか」
Tさんは、「そんなことを言われたのは初めてだ」と喜ばれた。
インタビュー当時、驚いたのは、郵便局には人事管理らしきことを担当する人がいない。なんで会社の指示を知るのか聞くと、郵便局内の掲示板に通達が貼り出されるのだと言う。
嵐の中を危険な思いをして配達して帰ってきても、みんな帰宅して誰もいないという話も聞いた。
今回の不祥事で、退任する社長が、「バッドニュースはすぐ知らせよ」と指示してあるが少しも上がってこないと語った。当たり前だろう。人間は、機械の歯車ではない。
郵便局には人事管理があるのだろうか? それは、もちろんシステムではあるが、同じ組織で働く者同士がつながり合う気持ちである。たまたま、槍玉に上がっているのは郵便局だが、さて、世間の会社には人事管理の「心」が本当にあるのだろうか。
わたしは、1980年代以降の人事管理には大きな懐疑心をもっている。