筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
朝日新聞で、もっとも健闘しているのは「朝日川柳」欄だ。読者の投稿である。まことに切れ味鋭く事態を切り取っておられて、いつも感心する。それに比べると、プロの「政治マンガ」の切り味の悪さが目立つ。
今朝は、「気がつけばものみな古びコメもない」、神奈川・平野郁子さんの川柳に共感した。地味な表現だが、内容は大きく深い。
まだ日本が若かった1970年代半ばに、わたしたちは企業内中高年層対策から高齢社会を展望した政策に、組合独自で取り組み、そこから「人生設計システム」を開発実現して、おおいに社内、組合員の支持を獲得した。
下積みの試行錯誤は3年ばかり続いたが、高齢社会のオピニオンが始まった波に乗って、1980年代半ばまではマスコミの取材が引きも切らなかった。
わたしは82年に組合役員を辞任して独立開業した。その活動の狙いは、①組合活動の再生への応援、②高齢社会への貢献の2つが軸であった。
とくに高齢化は、今のの中高年者、高齢者の問題ではない。21世紀が大変だ。今の若い世代の深刻な課題なんだ。高齢化対策は一朝一夕ではならず、個人と社会(組織)のベクトルを合致させて日々地道に、かつ長期的展望を掲げて推進しなくちゃならない。
わたしの描く高齢社会像は、「いぶし銀」であった。若者たちの社会から、渋くて味わいのある社会へ成熟させたいのであった。
その到達時点である、40年後の今はどうか。いぶし銀どころではない。安物のメッキが剥げて、すっかり古びてガタが来た。まさに川柳の通りだ。
大八洲(おおやしま)豊芦原の瑞穂の国に、コメがない。中小の投機筋が売り惜しみで値上げしているという、農水省の説は証明できなかった。
要するに減反政策でおカネをつぎ込みつつ、コメ不足をきたすというわけだから、農業事業の根本的失態だというしかない。
あらゆるインフラが古びた。道路や橋、トンネルなどだけではない。頭の中身もすっかり錆びついたのではなかろうか。
それを代表的に示したのが国会である。来年度予算が国会を通ったが、財源は先送りだ。少数与党だけがドジを踏んでいるのではない。借金だらけの政府は、使いたくてもおカネがない。与党だけが知恵がないのであればいいのだが。たぶん、野党はおカネの要求はガンガンやれるが、与党同様におカネを生み出す力はない。
安倍長期政権時代に、目先の手品ばかりに熱を上げて乱脈財政を繰り返した。今国会での財源先送りなる事態は、要するに財政破綻がいよいよ本格的に加速する号砲となりそうだ。
「気がつけばものみな古びコメもない」という呟きは、わが社会と国が、とてつもない大きな谷底の前にあることを表現している。背筋がぞくぞくしないだろうか!
調子のいいことを言う輩に対して絶対油断しないこと。まずは、古びてくすんだ現状をよくよく見詰めて、自分なりに呟いてみる。何かを発見できると、わたしは確信している。