論 考

「思惑」の無い外交なんて——

筆者 高井潔司(たかい・きよし)

 先週末、東京で、二年ぶりの日中韓外相会議、また六年ぶりとなる「日中ハイレベル経済対話」が開かれ、三国の首脳会談の早期開催や日本の水産物をめぐる中国の禁輸撤廃などで一致し、三国の関係改善がようやく動き出した。

 大いに結構なことだが、気になるのは、こうした動きに関するマスコミの解説が、「中国の思惑」ばかりに焦点が当てられる点だ。

 例えばNHKは中国特派員を登場させて、「中国が日本との関係改善を図る背景には、国内経済の減速に加え、アメリカのトランプ政権との間でも追加関税の応酬で対立が激化する、いわば『内憂外患』の状況があります。このため、経済協力の重要な相手と位置づける日本との間で、ビジネス環境や、国民感情の改善を優先的に進めたい考えです」と語らせている。

 で、日本の思惑は? といえば、全く解説はない。トランプ政権の登場で、日本にも関税は課せられるし、日本の防衛力強化や在日米軍経費への追加支援などが求められている。そういう中で、日本はどう動こうとしているのか。報道にそういう視点がない。いや政府に何の対策、「思惑」が無いのかもしれない。もし何も無かったら、これは大きな報道のテーマであるはずだ。 

 先週末、私はある日中関係団体に招かれ、昨年出版した『民族自決と非戦——大正デモクラシー中国論の命運』について講演した。年金生活に入って、中国をきちんとウォッチしていないので、もう何年も講演などしていなかったが、少しでも本の読者が増えればと引き受けた。

 ところが、講演後の質疑応答で、「習近平さんが最近、人類共同体というようになったが、これは対外宣伝と理解すべきか」という質問が出た。

 私は本当に中国問題をきちんとフォローしていないので、「人類共同体」という言葉さえしっかり頭に入っていなかった。「その言葉はよく知らないけれど、経済のグローバル化や気候変動、地域紛争の多発などを見ても、それを言うのは当然でしょう。ただ、それぞれの問題に関して、中国が本当に人類共同体という発想で対応しているか、どうかが問題でしょう」と答えた。

 三国外相会談の報道に見られるように、おそらく質問者は、トランプ政権登場による中国の「思惑」と答えて欲しかったのではないか、と推測する。「まぁ、宣伝といえば宣伝でしょうが、宣伝も真理を含むから宣伝になる」と、訳のわからぬことを言って、何とか質問をかわした。

 それにしても、問題にされるのは中国側の「思惑」ばかりで、しかも「思惑」自体が悪いかのように捉えられているのが気になる。

 そもそも外交はそれぞれの「思惑」をぶつけ合って、その妥協点を見出すことではないのか。先方に思惑があり、こちらには思惑が無い、無色透明では、外交にならない。思惑無き外交はむしろ負け戦になってしまうのでは。