筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
事実を語らねばならないように仕向けて、事実を語り始めるや、「大統領室で失礼だ」と難癖つけた。バンスのやり口は社会通念ではヤクザのそれである。次は、ゼレンスキー辞任を口にする。親分が親分なら、子分も子分だ。
和平のために公平な立場に立つというが、和平条件としてトランプが提示しているのはまったくプーチンの言い分そのものだ。公平どころか悪玉に入れあげるのだからお話にならない。トランプの常識は非常識である。
思うに、会談決裂は最初からトランプの戦術だった。決裂しても、ウクライナは関係修復に動かざるをえない。一方、トランプはウクライナがどうなろうと構わないのだから、相手の動きを眺めているだけでよい。いよいよ修復となれば、ウクライナにとってのハードルをさらに上げる。
和平を進めると大義名分をかざすが、トランプ一派のやっていることは、所詮弱い者いじめでしかない。わたしが子供時代から教わってきた生き方は、弱い者いじめをしてはならないということである。窮鳥懐に入れば猟師も殺さずという言葉もある。世界は、米国大統領がヤクザに乗っ取られたのを見ている。
「力による平和」なるものがよくわかる。力あるものが支配することである。トランプは、他国に侵攻したプーチンを信頼し、侵攻されたゼレンスキーを疎んじる。すなわち、力のあるほうが正義だという考えだからである。
トランプはプーチンに侵攻される心配がない。ここで、プーチンを喜ばせることはトランプ自身がプーチンに大きな貸をつくることになる。
プーチンに逆らう! ゼレンスキーを助けて手柄になっても実入りが少ない。それどころか、トランプがプーチンと不仲になることは、強者としての相互の利益を減らす。トランプの辞書に損失という言葉ない。
強者はお互いの取り分を認め合って共存する。だから、平和である。「力による平和論」は、倫理道徳抜きの、意地汚い連中が飛んだり跳ねたりする世界を意味している。
人類社会を粗野な力関係の歴史へ戻してはならない。いまの時代を生きるわたし自身が見識を問われている。