筆者 高井潔司(たかい・きよし)
自民・公明の少数与党体制の中、注目されていた2025年の予算案が野党・日本維新の会との合意によって可決成立の見通しとなった。先の衆院選挙で与党が大敗して過半数割れし、予算が通らなければ石破内閣は崩壊し、再選挙の可能性さえあったが、何とか内閣は命脈を保つこととなった。
この状況は薄氷を踏むような危うい体制ではあるが、私はこれまでの、野党や国民の声に耳を傾けない与党一強体制よりも、むしろ少数者の意見も尊重する健全な、本来の民主主義の強みを発揮する体制へと移行できるのではないかと、予算編成の成り行きに注目してきた。
この間、与党は、比較的与党寄りの国民民主党と所謂「年収103万円の壁」問題の見直し、維新の会とは高校の教育無償化問題を中心に協議を進めてきた。その結果、維新の会と合意を見て、予算成立の見通しにこぎつけた。
確かにこれまでの野党無視のごり押しではなく、低姿勢に終始した。石破内閣はアメリカ訪問で、最近やや支持率を持ち直したといわれるが、私はそれよりも国会答弁でも低姿勢の答弁を重ねている姿勢が好感を持たれているのではないかと見ている。
与野党の合意はそれはそれで結構なことだが、対する野党側のこの間の姿勢は与党の脆弱な体制を見透かし、自党のアピール、得点稼ぎ、党勢拡大を目論むことを優先したのではないか。その弊害の一つの現われは、どちらが与党を利したかをめぐる国民民主と維新のいがみ合いだろう。裏を返すと、何のことはない小数野党の手柄争いである。
そして最たる弊害の現われは、与党と維新の高校無償化の合意である。いま日本の教育の最大の課題は高等教育の無償化問題であろうか。より深刻かつ緊急の教育問題があるのではないか。例えば教員の待遇問題、など挙げればいくつもある。それらに比べ、高校の無償化は、民主党の元党首からいつの間にか、日本維新の会の共同代表に収まっている前原誠司氏が近年、主張していた政策に過ぎない。
この合意は、国民的な課題の実現でもなければ、ましてや与野党の話し合い政治、民主主義が実現するかどうかの試金石になるようなテーマでもなかった。手っ取り早く談合できる問題ではなかったか。深刻な物価高に苦しむ多くの人々にとって別世界の話だろう。
予算審議に限って言っても、予算の無駄遣いや莫大な基金の積み上げ問題などしっかり議論しなければならない問題が度外視され、年収の壁と高校の無償化問題に矮小化されてしまった感が否めない。