論 考

現代をジャングル化するな

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 人間には、言語を使う機能が備わっているらしい。そして、周囲からの刺激を受け止めて会話ができるようになる。

 おかげで、他者との間にコミュニケーションが成立し、現代は巨大な人間社会が形成されている。

 ここまでは具合がいいのだが、せっかく言語が使えても、人間の心は未熟である。心というものは、実は肉体があるから存在? するのであって、肉体が生命を失えば消えてしまう。

 肉体の行動範囲はちいさなものだが、心の活動は非常に大きい。そいつが、いろいろな事態を引き起こす。

 たとえば、イスラエルが軍事力にものいわせて、作ったガザのガレキの荒野を見ると、更地にして新都市を築くことを思いつく。本人も言うように、不動産屋の習慣である。

 その前に、なぜ、たくさんの人を殺傷して、人々の人生を壊したのか、ということには思い及ばない。人は、不動産屋である間に人間なのだが、人間としての発想が湧かない。あたかも、出来の悪いAIみたいである。

 AIとは有益な対話ができない。

 哲学においては、対話が基本である。哲学といわなくても、ものごとを解明するために対話をする。絶対的に正しい解をもつ人間は存在しないから、いわば人間社会は無限に対話を積み重ねることによって維持するべきものである。

 ところで、トランプにせよ、マスクにせよ、ネタニヤフにせよ、プーチンにせよ、他者との対話にはほとんど無関心なようだ。非常に具合が悪い。

 ベルクソン(1859~1941)は、「人間の本能は閉じた社会をめざす」と主張した。この本能は、人類を目指すものではない。原始的本能が知性を妨害しているわけだ。

 民主主義は、閉じた社会を克服する挑戦である。

 最近、世界をお騒がせしている諸氏に共通するのは、原始的本能に引きずられている知性である。

 こういう手合いには絶対に共感しない。わたしの本能は知性を求めるからである。