論 考

石破訪米 何を語るために行くか?

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 訪米目前の石破氏は、勉強に余念がないらしい。

 なにしろ、相手はトランプだから、手土産一つで懐柔できるそうもない。ゴルフを誘うわけにもいかない。タフネゴシエーターとはあなたのことですねとヨイショできるものでもない、安倍氏は、クレバーだとほめられたらしい。石破氏も、わたしもそうだと自負しているだろう。

 どうも、――あの男が何を言い出すか。難題をぶつけてくるのじゃないか。対日圧力が心配だ。大きな宿題を出されてはかなわん。何が飛び出すか予想できない。そんな悩みに支配されていると思われる。

 昔の新聞は、首相が変わるたびにワシントン詣でするのが独立国として不細工だ、参勤交代を止めるべしという論調が主流であった。今回はそのような視点の論説にはお目にかからない。石破氏の苦衷を共有しているのだろうか。

 目には目薬、歯には歯ブラシである。恫喝とはったり専門の相手の言葉を待ち受けて右往左往するのは得策ではない。

 こちらから喧嘩を売る必要はないが、堂々たる正論をもって臨むのが王道だ。たまたまガチンコしても、当方の所信を語らずして、首脳会談とは言えない。日米関係は、親分子分にあらず、主従にあらず。初手から揉み手スタイルでは軽んじられて、誤解される。

 麻生氏は、結論を先に語るべしとアドバイスしたそうだが、多忙を極める! 首脳同士だから、妙な忖度などせず、核心をきっちり話すのがマナーでもある。

 石破氏は、勉強会から、難しい話をすればするほどマイナスになる(感じ)とぼやいているそうだが、当たり障りのない話をするために、アメリカまで専用機で飛ぶ必要はない。

 石破スタイルは、鳥取弁的もっちゃり型で、単刀直入とはだいぶ違う。つまりトランプ型とは正反対だ。しかし、無理して相手の型に合わせることはよろしくない。自分自身が自分でない演技をすればボロが出やすい。外柔内剛で上等だ。

 石破氏は、つねづね日米地位協定に難ありという持論だが、それを押し出せばよろしい。難題を出されるのを待つのは下手な交渉術で、それを相手が、誠意があると認めてくれるなどと考えるべきではない。

 まさに、言うべきことを言う。そして、聞くべきことを聞く。見解の違いがあれば議論して理解を深める。今回の会談ですべてお仕舞ではないのだから、虚心坦懐、おおらかにあきらかに接し、問題があれば、明晰・判明にするべく対話するべきである。

 石破氏は、日米同盟をさらなる高みに上げるというが、中身がわからない。中途半端な抽象的表現を多用する日本政治的話法は通用しない。それがまた、相手の難題を引き出す毛ばりにもなる。

 トランプはMAGAである。すでに国際協調など歯牙にもかけない調子である。ここで石破氏としてはどうするか!

 一緒になってお追従してはいかんし、ご本人もわかっているだろう。正々堂々国際協調こそが世界平和の道筋だ。長年の政治家としての存念を語ってもらいたい。くれぐれも小細工をやってはならない。

 わたしは、石破氏に水滸伝武松のトラ退治をやってくれというのではない。誠心誠意存念を説いてもらいたい。

 言論的ガチンコは戦争ではない。さらにお互いを理解するためである。石破氏の健闘を期待する。