筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
東京交響楽団やカナダのバンクバー交響楽団などの、桂冠指揮者である秋山和慶さんが亡くなった。
もう20年くらい前になるか。東京交響楽団の東京オペラシティシリーズ年会員になって、年間6回ほど演奏会を聞きに行く。
楽譜を読むのでもないし、格別音楽の素養があるわけでもなく、ただ聞くだけの古典音楽ファンである。
秋山さん指揮ではここ数年、12月例会で、ベートーヴェン交響曲第九を楽しんだ。自分が一昨年大病を患ったので、年末には、これが秋山指揮第九の聞き納めかなと思った。幸い、昨年12月18日にも、秋山さんの第九を聞けた。
この調子なら2025年末も聞けると思って、楽団の予定表をみると、今年は第九がない。残念。と思っていたら、1月23日に引退表明されて、その3日後に亡くなった。84歳である。
報道によれば、ご本人はあと10年くらい指揮棒を振るつもりだったようだ。外連味のない無駄のない指揮が印象に残る。
今朝の朝日新聞に、秋山さんの弟分だった井上道義さんが、「秋山さんは指揮中に汗をかかない、無駄な力を抜いた指揮だった」と語っていた。なるほど、その通りだったなあ。
弟子の下野竜也さんは、秋山さんから、「指揮者は独裁者になるのではない。楽団員をよくわかる人間になることだ」と諭された。
いかにも秋山さんらしい、地味で派手さのない言葉だが、含蓄が深い。
いまの世間は、クルーズのことをまったく知らずに号令だけかけているコックスみたいなリーダーが多すぎる。これで、チームや組織が発展するわけはない。
孔子に、後生畏るべしという言葉があるが、しかるべき後輩が育ってこないのは、秋山さんのような心構えの人が少ないからだ。
秋山さんが指揮者デビューしたばかりの時、東京交響楽団は破産した。みんなで楽団を再建した中軸が秋山さんだった。それを思うと、29歳若い下野さんに伝えた言葉は、現在から未来へ橋を架けたい気持ちであったにちがいない。