筆者 高井潔司(たかい・きよし)
「一票足りないというのはすごくよかった。不完全であるというのはいいなあって。だから進もうとできるわけで」
何と美しい表現だろう。1月はトランプ大統領の就任演説など多くのリーダーの言葉を聞いたが、最も印象に残る言葉だった。アメリカメジャーリーグ野球の殿堂入り記者投票で、満票に至らなかったことをめぐる記者の質問へのイチローさんの答えである。彼の謙虚さ、野球に対するひたむきな姿勢だけでない、“イチロー哲学”の一端を示す言葉だと感じた。
「人間は完全ではない。だから完全を目指して努力を重ねる、成長していく。それが人生だ」と語っているのだとは、私の解釈だ。
それに比べて、トランプ氏ときたら、銃撃事件を持ち出して「私は米国を再び偉大にするために、神によって救われたのだ」と自身を神の使徒であるかのように持上げ、世界に反目と憎悪を広げる大統領令を連発した。人間らしい謙虚さがまるでない。後味の悪さだけが残る演説と感じるのは私だけではないだろう。
いささか唐突ではあるが、イチローさんの言葉を聞いて、私は学生時代のゼミの指導教官の言葉を思い起こした。もう50年以上前のことだから正確でないが、ゼミ初日の冒頭、「西洋の近代化、民主主義は、絶対な真理を体現する神と不完全な人間の存在を前提にして、進められてきた。いま中国で進行中の文化大革命は毛沢東の神格化であって大衆革命でも何でもない」といった趣旨の発言だった。
東京外国語大学中国語学科の学生だった私は全共闘の過激派ではなかったが、多少毛沢東かぶれであったので、教官の言葉に衝撃を受けた。その時は、毛沢東かぶれは抜けていなかったので、毛の「実践論」を持ち出し、毛は実践の連続を通して真理を追究していくという実践哲学であり、決して自身が真理を体現しているなどとは言っていないと反論した。(もちろん文化大革命は実践論に基づいて進められたわけでなく神格化を通して進められていた)
ただ、人間は神と違って完全な存在ではないという精神を、この教官から叩きこまれた。民主主義は、権威や多数の意見、自身を絶対視せず、議論を通して、他人の意見、少数者の意見に耳を傾け、自身の意見、主張を改善していくというプロセスを大事している。以来、私はこの問題をずっと考えてきた。
言論の自由とは、自分の意見を勝手気ままに発言する自由ではなく、他者に発言の自由を与え、その発言から学ぶという発想である。多数者、権力者の自由というより、むしろ少数者の権利と考えるべきなのだ。本欄で安倍一強体制を批判する評論を書いてきたのもそうした考えがベースになっている。だからイチローさんの言葉が私のこころに響いたのである。
イチローさんこの発言を、記者会見の翌日の朝日、毎日、読売の三紙を比較してみると、毎日は「満票ならず、『すごく良かった』 イチローさんが語った人生観」と独立した記事にして、正面から論じていた。読売は独立した記事ではなかったが、記者会見のやり取りの中でこの発言を取り上げ、「満票に一票足りないのはすごくよかった」と見出しにもしていた。
みじめな扱いだったのは朝日だ。一問一答と大きなスペースをさきながら、この発言を取り上げていなかった。それどころか、イチローさんが満票でなくてよかったと言っているのに、「満票でなかったことに納得できない人は多いようだ」、「16日に日本の殿堂入りで満票を得られなかった事実にも触れて、『米国では満票で選ばれてほしい』という意見もあった」、「イチロー氏を『外した』記者に名乗り出て理由を聞かせてほしいと呼びかけていた」と、アメリカのSNS上の意見を長々と紹介していた。
自社の論調に自信過剰な新聞には、イチローさんのこの言葉は全く響かなかったようである。