論 考

政治は芝居にあらず

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 イギリス首相・スターマー氏(労働党)の支持率が25%にまで下がった。ところが野党・保守党はそれよりもっと人気がないものだから、誰も驚かない。

 「彼はつまらない政治家で、演説は退屈だ」と評価されている。つまらないという中身は地味なのである。ただし、これは事前の公約違反? ではない。彼が地味で派手さをかき、演説が退屈なことは首相就任する以前から十分に知られていたし、だれもが知っていたはずだ。

 保守党政権の推移を見よう。

 イギリスは2016年、キャメロン首相(保守党)のときに大騒動してEUを離脱した。直後から、人々はこの選択が賢明でなかったと気づいた。

 メイ首相がさんざん苦心してEU離脱作業をこなした。

 次がジョンソン首相であった。彼はEU離脱騒動の大立者の一人である。嘘もホラも駆使するタイプで、道化師並みにおもしろかった? が、脱線を重ねて辞任に追い込まれた。

 トラス首相は、演技面に力点を置きすぎたのか、それにしてはあまりに中身がなく49日間で辞任した。史上最短の首相の記録を作った。

 インド系のシナク氏が首相を継ぎ、大いに踏ん張ったが、保守党が8年間に溜め込んだ滓(おり)を吹き飛ばすには至らず、労働党のスターマー氏の登板となった次第である。

 スターマー氏就任当時、英国メディアは、地味な人柄で退屈な演説こそが、はしゃぎ過ぎたイギリス政治再建に必要だと論じた。つまり、スターマー氏は事前の期待通りに仕事をこなしている。

 イギリス政治を揶揄したいのではない。政治を地味なものに戻すのは、目下、世界的に喫緊な課題ではなかろうか。

 アメリカはトランプ氏が、就任日に4年分以上の仕事をやろうとしている。ぶち上げるのが得意だから、それ自体驚かないが、仕事をするのは結局、1人ひとりの人間である。まとめてぶち上げればまとめて出来上がるような単純なことではない。

 トランプ氏の最大の見せ所はパフォーマンスである。舞台でどぎつい演技をして観客を喜ばせる力である。しかし、それは選挙芝居だから可能なのであって、現実政治がかくも軽快に踊るわけがない。

 そもそも、個人が超人になったかのように錯覚することはできるが、短兵急の結論が出せないのが政治的問題である。逆にいえば、たやすく解が得られるようなことを問題とは呼ばない。

 社会が大きくなればなるほど、社会を構成する人々の利害得失は複雑になる。複雑に絡んだ糸を丁寧に解きほぐすところから始めるのが、政治の政治たる所以である。

 スターマー氏は最近、「easy answerは国を強くしない」と語った。これは、政商マスクがガチャガチャと口を挟んでくることに応じたコメントであるが、政治家たるものが拳拳服膺するべき言葉に置き換えられるだろう。いや、そうあらねばならない。