論 考

歴史の重み

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 台湾総統の頼清徳氏(民進党)  が、1911年10月10日辛亥革命が始まったのを記念した双十節(祝日)演説で、「中華民国は113歳おめでとう、中華人民共和国は75歳だから、中華人民共和国が中華民国の人々の祖国とは言えない」と語って聴衆の喝采を浴びた。

 中国は一つだとしてゴリゴリ押してくる中国の論法に一矢報いたかと思っていたら、そうでもないらしく、民進党内部に波紋を投げかけたという。

 中国共産党や、台湾国民党はいずれも孫文の辛亥革命を現代中国に起点としている。

 中国共産党との内戦に敗れた蒋介石(国民党)は台湾へ逃げ、中華民国(台湾)を起こした。小たりとはいえ、辛亥革命の本家であるから、やがては大陸を統一するという構えであった。中国共産党もまた、同じ民族だから祖国統一する方針である。

 つまり、台湾人の台湾である中華民国を推進したい台湾民進党としては、中国共産党や台湾国民党と同じ論法にはまりたくないというわけだ。

 蔡英文前総統(民進党)も、中華民国(台湾)の起点は1949年、内戦が終わったときとして、辛亥革命を起点とはしなかった。

 辛亥革命を祝いながら、それとこれとは別というのもいささかわかりにくいが、一つの中国論で押しまくる中国共産党に対峙する苦心であろう。

 ところで、戦後日本人の歴史の起点は1945年8月15日の敗戦だと一般に流布している。ややこしい戦時日本の歴史をすっ飛ばして、民主主義の新生日本と考えるのが便利なようではあるが、これではよろしくない。

 たとえば、アメリカに憲法を押し付けられたというのは、戦後民主主義を是としない立場である。

 しかし、大正デモクラシーという時代には、明らかに自前の民主主義があった。これから育とう民主主義の芽を摘み取ったのは時の支配者である。大正デモクラシーは力不足だったので軽視する向きもあるが、決して実のない芽ではなかった。それこそ支配者は躍起になって民主主義を踏み潰したのである。

 大正デモクラシーをわが民主主義の起点とすれば、戦後の民主主義の推進力はいかにも不十分である。しっかり努力しなかったおかげ! で、最近の日本政治の潮流はかなりけったいな傾向にある。

 一言でいえば、民主主義を考えず、理解せず、みてくればかりの政見を語る向きが多い。それが、いわゆるポピュリズムの本体である。

 お隣の韓国では、民主主義の理解が乏しい大統領閣下がとんでもない民主主義の扱いをやってみせた。しかし、韓国の人々はまさに戦後、民主主義を営々と追求実践してこられた。大統領弾劾の事態は容易に平静に戻らないだろうが、民主主義を作ってきた自信が人々の骨肉化している。

 思えば、わが国では、首相だった安倍氏が「ポツダム宣言を読んでいない」などと放言しても、さしたる波風が立たず通過するようなざまである。歴史小説を楽しむだけではなく、自分が歴史を作っているという意気を持ちたいものだ。