論 考

まともな政治家がほしい

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 12月8日バリで、ゼレンスキー、マクロン両氏とトランプ氏が会談した。トランプ氏が即時停戦と交渉を呼びかけた。

 翌日、ドイツCDU党首メルツ氏との会談後の共同記者会見で、ゼレンスキー氏が外交的解決を主張した。さらに、NATO加盟実現まで外国部隊展開を継続すると語った。トランプ氏との会談では、戦線凍結も主張したようだ。

 目下、ロシアはウクライナ領土の1/5を占領している。プーチン氏は、ウクライナのNATO加盟には絶対反対の主張である。

 続いて、ゼレンスキー氏はバイデン氏とも会談する予定だ。

 少し変化が起こり始めただろうか。

 トランプ氏は、8日放映のNBCテレビのインタビューで、ウクライナ支援をおそらく削減するだろうとか、アメリカがNATOから脱退する可能性にも言及した。以前からの主張であるが、大統領就任が近づいている。

 シリアのアサド政権が崩壊し、政権を支持してきたプーチン氏は、シリア、中東での作戦を全面的に見直さなければならない。

 シリア情勢がどう動くか、目下様子見であるが、後戻りはないだろう。ロシアの戦略変更は必然であり、ウクライナ戦争とも無関係ではない。アメリカも中東戦略の立て直しを考えるだろう。

 戦争だろうが、革命だろうが、つまるところは暴力の正当化でしかない。第一次世界大戦、第二次世界大戦は世界規模の内戦・革命戦争の開始であったという見方もある。戦争も革命も、はっきりしているのは政治が機能していないことだ。

 物理的な暴力装置を強大にすることは、政治的能力を持たない政治家でも可能だ。暴力装置が大きくなればなるほど、その国の政治権力は中身が空疎になり、能力の低い政治家が自分の権力者としての地位を守ろうとすればするほど、暴力装置に依存しやすくなる。

 まさに、現在の世界がそれである。革命は、破壊よりも建設にこそ意義があって、建設に向かいえない革命は内外に暴力を蔓延させるだけである。

 戦争はといえば、建設などない。破壊と殺戮のみである。