筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
事務所を閉じてからは、たまたま所要で出かける以外は、買い物など住まいの近辺をうろうろするのみ。散歩なる行動も、相変わらずなじみがない。退屈しないからだろう。かつて全国あちこちに出没したことすら、めったに思い出さない。
昨日、野暮用で渋谷へ行った。電車に乗ると、かなり厚着している人も目についた。わたしは風よけに薄いコートを引っ掛けていたが、やや寒い。日なたが心地よい。さして遠くないのに定期で行き来するのと切符を買うのとはだいぶ気分がちがう。いかにも、どこかへ行くという感じになる。
電車を降りて、バスに乗った。待ち時間がなく実に流れがよろしい。混雑もしていない。次の停車場で4人家族が乗った。30歳代らしき夫婦と3~5歳くらいの女の子2人、わたしのすぐ横に母子3人が座って、父はつり革に立つ。
なにか妙な気がする。あれれ、対面の高齢女性(わたしよりは若い)の視線が子供たちに突き刺さっている。かなりきつさが目じりに漂う。なぜなんだろうか。わたしはどうも居心地がよろしくない。
子どもたちはおとなしい。大声を立てるのでもなく、行儀もよろしい。なのに、どうしてあんなきつい目つきで見るのか。わたしは緊張して様子をうかがっていた。
5分くらい過ぎた。女性の視線が窓の外へ向けられたので、ほっとした。のではあるが、落ち着かない。なぜ、あんなにきつい視線を送ったのか。わたしは、自分の顔を見たわけではないが、子どもたちをみて表情が緩んでいたはずだ。
そのうちめざす停車場に到着したので降りた。ステップを降りるのはいささか注意を要する。視野が狭くなり、距離感が図りにくい。
無事下車して、めざすお店へ入るまですっかり車内の関心は消えていた。
用事をすませて帰りのバスに乗り、また電車に乗る。電車内で、自分が斜め前の男性を意識なく凝視しているのに気づいてハッとした。反感をもって見ているのではないが、他人が見ると、きつい視線を送っているのかもしれんぞ。
駅を出て、暖かい日差しが心地よかった。なじみのお肉屋さんで買い物した。主人が「寒くなりましたねえ」。思わず「寒かったです」と言いつつ、バス内の視線を思い出した。
ドアからドアまでざっと2時間少し、格別のこともなかったが、小旅行したみたいであった。ソファーに座って本を読んだり、居眠りしたり、これでほとんど退屈しない。どうも、浮世離れじゃないかなあ。
