筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
本欄でいつも示唆に富んだ論考を提供されている高井潔司さんが新著を出版された。全文30万字の大作である。先行研究を丹念に読み込み研究した内容で、人と思想を読み取ろうとする姿勢が最後まで貫かれている。わたしは読後、勉強の方法を見せてもらったことを痛感した。
本書は、大正デモクラシーの代表的な人々の、国際協調、民族自決支持の見識と行動がいかに展開され、どのような命運をたどったかを思索した。
高井さんは新聞記者27年、大学教員20年の経歴である。一貫してジャーナリズム精神とその実践を追求してこられた。本書は、まさしくジャーナリズム精神の実践である。登場させる人物は、わたしもそれなりに勉強したが、本書においては、人とその思想、実践ついて、これでもかこれでもかとばかり、「裏付け」を追求している。その努力があって、明晰判明な主張になっている。
登場人物は、清水安三、吉野作造、石橋湛山、尾崎秀実、橘樸など。メディアは大阪朝日新聞などが軸である。もともとは月刊『メディア展望』(新聞通信調査会)に2018年から3年間連載されたが、得心いくまで「裏付け」を追求するジャーナリスト精神が途切れない。膨大な資料に対峙するので出版をためらったと述懐されているが、粘り抜いてさらに3年余を投入した労作である。
わたしはほとんど一気に読み込んだ。学者研究者が書いたものは長くて、読者の集中力が途切れがちだが、高井さんの文章力、読者へのサービス精神は、始めから最後まで手抜きがない。とことん真実の在処を追求する著者の気合が、読者の読み込む力を引き出してくれる。力作である。
書評としては内容をかいつまんで紹介するのが定石だろうが、わたしは本書によっておおいに触発啓蒙されたことについて書きたい。
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大正デモクラシーは、だいたい第一次世界大戦(1914~1918)後から大正末(1925)をいう。
政党政治は、憲政擁護を掲げた護憲運動(1912)以後の動きの後だが、依然として維新元老連の支配を脱せず、おまけに党利党略そのもので、そこにはデモクラシーの影すらなかった。
1918年には富山県魚津の井戸端から、米価暴騰で生活に苦しんだ人々が米の値下げを要求して立ち上がった。米穀商・富豪・警察などを襲撃する大衆暴動も発生した。軍隊が出動して鎮圧した。
1920年代には、人々が自由大学運動、自由教育運動などを起こした。とくに、長野県の青年たちが起こした運動が有名で、全国各地に広がり、市民運動もかなり盛んになった。
明治維新から日清戦争、日露戦争を経てアジアの新興大国になった。夏目漱石が指摘したように、人々は天狗にさらわれて舞い上がったようなものであった。維新から40年過ぎた日本が、これからどこへ行くのか。模索する時期に入った。
社会全体をみれば、デモクラシーの芽が出たところで、まだ社会を動かす力が形成されていない。
長谷川如是閑は、「大正デモクラシーは厚化粧」みたいなものだったと回顧した。「内にデモクラシー、外に帝国主義」であるという見方が敷衍している。当時の代表的な論客が吉野作造、石橋湛山である。つまり、国内ではデモクラシーを唱えたが、外に向かっては、中国に対する侵略を阻止できないだけではなく、むしろそれを支持したという。高井さんは、これを一つひとつ丁寧に多くの資料を読み込んで検証された。
結果からすればデモクラシーの力及ばず、日本が満州事変(1931)からの15年戦争へ突入するのを阻止できなかった。しかし、その価値は失われない。
当時の人々の社会や国家に対する意識は当然ながら未熟である。自治意識は形成されていない。コミュニケーションの概念もない。社会秩序を維持した背景に儒教があるにしても、所詮人間関係にとどまっている。竹越与三郎は、「武士道などない。義理と人情」だけだと指摘した。
維新は、封建社会に対する革命ではない。いわば、人口の5%程度の士族集団における権力移動でしかなかった。維新後も支配者は、人々の自由な見識を育てようとはせず、極力政治的無知蒙昧に閉じ込めようとした。
和辻哲郎が、「日本人はデュオニソス的要素に富む」と指摘したのも妥当である。時代を覆っていた雰囲気はデカダンであろう。虚無的、退廃的で、外部からの刺激に対する抵抗力が弱い。ものごとはすべからく偶然的で、人格未形成、人々の有機的連帯を欠いていた。
軍はつまるところ封建的イデオロギーに居直って、内外にそれを強化しつつあった。
前述のように、大正末期には青年を中心として文化に対するあこがれが強かったが、すでに社会がいびつな姿を見せ始めていたなかで、自由闊達な気風が育ちにくかった。なおかつ、日本人は概して議論好きでもない。
このような情勢において、大正デモクラシーの論客たちは大変なエネルギーを投入して新しい時代を起こそうとした。力及ばなかったとしても、そこで育てかけたデモクラシーの意義を見失ってはなるまい。
こんにちの日本人は、敗戦以後にしか歴史的関心が薄い。もちろん、敗戦後のデモクラシーは大事であるが、その意識は、デモクラシーになったのであって、「した」のではない。ために、デモクラシーを学び育てていく意識が弱い。敗戦後80年を目前にして、戦前復古調保守が台頭してきたのも不思議ではない。
大正デモクラシーの人々は、15年戦争を阻止できなかった。しかし、まちがいなく、自分の頭で考え行動してデモクラシーを育てようとした。彼らが活動した時代は、こんにちのようなデモクラシーではない。油断すれば弾圧される社会であった。
こんにち、内も外も、情勢はでたらめである。流れに委ねたのみでは何も変わらない。誰もが大正デモクラシーの論客になられないとしても、デモクラシーは「わたし」が作るのだという見識を持ちたい。
かつて、中国では封建清朝を打倒して辛亥革命(1911)を成功させた。魯迅は語った。「封建打倒は成功したが、民主革命は容易でない。それは1人ひとりが学んで成長しなければならないからだ」
大正デモクラシーは、魯迅の言葉を体現した。それを、高井さんの『民族自決と非戦 大正デモクラシー中国論の命運』(集広舎)によって、改めて確認させてもらった。
