論 考

一強終わる、ゆ党戦略も終わる

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 選挙は終わった。特別国会は11月11日召集にするらしい。

 選挙に敗北したので、小泉氏は選挙対策委員長を辞任して責任を取ったつもりだが、総裁選の公約と違えて予算委員会を開かず、解散時期を早めたのは石破氏の決断である。小泉氏は選挙の戦術的責任を取ったとしても、早期解散総選挙に突入した政治戦略的責任は石破氏にある。責任取るべき大物にあらず。

 選挙の目標は自民・公明合わせて衆議院の過半数獲得にあった。これ、石破氏が決めた。逆にいえば、過半数獲得可能だと読んで解散したのであるが、結果は惨敗である。委員長に就任したばかりの公明の石井氏も落選して、委員長を辞任する。小泉氏は、責任問題がありますよと提起しただけである。

 社説をみると、朝日新聞は28日、「自公過半数割れの審判 国民から首相への不信任だ」として、自民一強に終止符を打った。石破氏が首相を辞任するのが筋だと主張した。読売新聞は29日、「自民歴史的大敗 首相は責任の重さを痛感せよ」として、石破氏が、大敗で政権に居座り、政局の混乱を長引かせることは許されない。速やかに進退を決することが憲政の常道である。と、やはり辞任すべきだと主張した。

 石破氏は、「国政は一時たりとも停滞を許されないから、職責を果たしていきたい」と語った。ついては、政治とカネの抜本的改革をするとして、①政策活動費の廃止、②調査研究広報滞在費の使途公開、残金返済、③政治資金規正法に基づく第三者機関の早期設置を打ち出した。

 この程度の施策で問題が片付くなら、あの解散総選挙はなんだったのか。自分たちに不都合なことは徹底的にサボタージュを決め込み、耐えられなくなると場当たり的小出しにする。まさに利己的無定見の自民党が、国を守る、国民を守るなどと大言壮語を繰り返すのだから、なんともはや、心穏やかではいられない。

 さて、自民党は特別国会で石破氏の首相指名を獲得せねばならない。自民・公明では議席215しかないので、氏名獲得233議席まで18議席足りない。野党は、立民・維新・国民・共産で合計222議席、こちらは11議席不足である。いずれにせよ与野党という軸でみれば、自民党下野、政権交代が起こっても不思議ではない。

 1回目の投票で指名獲得するためには、自民が追加公認をしても足りず、野党の助けが必要である。客観的に親和性が高いのは、維新38、国民28である。しかし、いずれも金権反自民を旗印に獲得した議席だから、「対決よりも解決」を振りかざすにしても、裏切者と言われたくはない。

 そうかといって、維新は藤田氏、国民は玉木氏を首班指名候補に掲げたとしても、上位2人の決選投票では、石破か野田かいずれかを選択せねばならない。しかし、維新も国民も、表向きはともかく立民野田氏を首班指名する「度量」があるようにはみえない。政権交代など視野になかったからだ。

 ただいまは、水面下で各党入り乱れて多数派工作が展開されているのだろうが、自民党を追い込んだものの、野党(維新、国民)としては、野田内閣万歳よりも、第二次石破内閣のほうが好ましそうだ。それは、与党・野党・ゆ党のいずれでいくか。路線選択である。

 野田氏は、枝野氏よりもウイングを自民党寄りにした。右の左のというが、政党立ち位置なんてものは相対的である。維新はともかく、国民としては、立民よりも保守寄りにしたい。ますます自民党に接近することになる。しかし、「政治とカネ」反自民の旗で議席を増やしたのであって、ここで露骨にゆ党路線を押し出すのはどんなものか。と、玉木氏は目下、自か立かを巡るハムレット的心境ではなかろうか。

 国民は、立民よりも自民党寄りというところに立ち位置があるが、アイデンティティはなにかというと、どうもはっきりしない。自民でも立民でもない中間に位置する以外に、存在感がない。自民党が一強だったときは、どちらでもない路線で泳いだが、いよいよ一強が終わったとなれば、どうするのか。予期せぬ! 28議席を獲得したが、こんごも単純に「手取りを増やす」政党でいくのか。

 首班指名選挙前に厄介を抱えているのは与野党いずれも変わらない。