論 考

古色蒼然、利益誘導

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 衆議院議員選挙も終盤、わたしの周辺は静かなもので、昨日はじめて街宣車が目の前を通過したので、思わず手を振った。選挙区は広い、候補者は4人だから、街宣車にもなかなかおめにかからない。

 選挙箱を開けてみるまで結果はわからないが、選挙運動をやっていると情勢がひしひしと感じられて、事前の観測と結果がきわめて近かったりする。といっても、これはだいぶ昔の話で、最近の選挙では街頭演説にもあまり人が集まらないし、街宣車が通り過ぎても無反応である。

 和歌山2区のポスト二階俊博の選挙戦の朝日新聞記事をみて苦笑せざるを得なかった。その文章は、――和歌山県の紀伊地域は、これまで大物政治家が絶大な影響力を誇る「王国」だった。その「あるじ」であり、衆議院選挙13回当選を重ねた二階俊博が引退した。――と書き出して、参議院からくら替えした世耕弘成と、二階の世襲・伸康の激戦が報じられている。

 「王国」、「あるじ」などの表現が民主主義とフィットしないのは当たり前だから、大都市に住んでいる人からすれば、なぜそんな表現が出てくるのか不思議だろう。しかし、時間を逆流させるほど、それは政治をぴったり表現したものであった。つまり、国会議員はふるさとの経済的生活の向上、人々の生活に役立つ仕事をしなければダメである。

 たとえば道路を作った、橋を作った。税金をどれだけわがほうにふり向けたか。考え方によれば実に単純明快な仕事の評価方法ではある。日本全国至る所に〇〇先生のおかげなる道路や橋が残っている。

 その結果、政治家たるものは、いかに税金を使って人々を引き付けるか。税金バラマキ人になってしまった。とくに、東日本大震災や、コロナ騒動など通じて、国の財政大盤振る舞いが政治家諸君の生業と化した感が深い。

 安倍が日銀を自分の財布のごくに考え、黒田日銀もそれに応えて、ジャンジャン国債を発行した。いくら借金しても平気である。自分が返済する責任が直接降りかかってくるわけではない。いよいよの時になれば、そこでしかるべき任にある誰かが問題を片づける、という青天井無責任時代が10年近く続いた。

 菅に続く岸田は、安倍氏長年見ているから自分もそのまま前例踏襲する。超大盤振る舞いの防衛費などは、あたかも、予算は後からついてくるといわんばかり、だらだらと決定を先延ばしして、めでたく辞任して去った。

 今回の選挙戦で、国の財政一大事、これをなんとかいたしましょうと正論ぶつ候補者は見当たらない。正論では票にならない。かくして、あれもしましょう、これもやりますの大合唱である。

 政治家は国民の安全安心を語っているが、実は、本当の大事には目をつぶっている。やがて気がついて、動きが取れなくなるまでに、すたこらさっさと身を処す次第である。

 裏金問題が大きく関心を集めているが、もっとも大きな政治腐敗の問題は、利益誘導政治にこそある。古い政治は二階王国だけではない。それはたまたま古色蒼然の形で残っていただけである。