NO.1585
保守政治家について自説をいろいろ述べる前に、自己紹介するのがマナーでありましょう。しかし、たとえば安倍、麻生、石破、高市などの固有名詞については、人としての癖、思想の浅さ、地位・名誉・損得などに対する露骨な執着などが、先入見になっています。それでは、私の真意が伝わりません。そこで、どんぐりコロコロではない、「私こそが保守政治家です」という程度のご挨拶のみにいたします。
保守主義(conservatation)を短くいえば、現状維持を目的とし、伝統・歴史・慣習・社会制度などを固守する立場と理解されます。しばしば日本的美風は、聖徳太子(574~622)の17条憲法による「和を以て貴しと為す」であるといわれますが、日本人のコミュニケーション能力の面からみると、自慢できるほどの伝統にはなっていません。
和をもって日本的伝統とするならば、まさか1931年満州事変から1945年太平洋戦争敗戦までの歴史が生まれることはなかったでしょう。かの敗戦は日本滅亡の瀬戸際で踏みとどまりました。原子爆弾に対して竹槍で戦って一億火の玉、玉砕しても降参しなければ日本民族の栄光の伝統は維持されるとまで語っていたのですから、後世代としては共感できません。
いまの保守政治家を大きく2つに分けます。戦前型保守と戦後型保守です。前者は天皇制全体主義に憧れている諸君、後者は戦後民主主義を出発点とした諸君です。元首相の宮澤喜一(1919~2007)は政治家生活を回顧し、戦前型の右翼的政治家を統御するのに苦労したと語りました。当時の右翼的政治家は、自民党の外ではいまほどは目立ちませんでした。
戦前型保守といいますが、それは民主主義とは敵対した保守・右翼ですから、社会常識では、アナクロニズム(時代遅れ・時代錯誤)といわれそうですが、戦前を知らない世代にかなり浸透しています。戦争の歴史と現実を知らず、歴史的反省や自戒がありませんから、未熟型で、特攻隊を描いた物語に胸がキュンとなるようです。滅私奉公、あんたの命は鳥の羽より軽いといわれても格別の感興を抱かないのです。
戦後型保守は、いくなんでも戦前回帰はご免だ。日本滅亡の危機を招いた国家主義・全体主義は過去のものだ。憲法導入に際して、敗戦の懲罰的意味合いが込められていたにせよ、民主主義を前提とするのは当然である。
自前の憲法を作りたい。戦前型の上から押し付けではなく、国民各人が主体的に参画したものであるべきで、いまの憲法をさらに普遍的レベルへ押し上げねばならない。ところで、2012年の自民党憲法草案の中身は戦前へ逆流するような文章が多く、戦後型保守のセンスではありません。
戦前型保守はアナクロニズムである。戦後型保守は、当然ながら戦後民主主義の成長度合いと深い関係があります。残念ながら、戦後民主主義の実情は、まだ日本国憲法を縦横に駆使するレベルに至っていませんから、戦後型保守もまた、ちんたらもたもた繰り返しています。
自民党の保守人士が裏金騒動を引き起こしたのは、保守政治家の心得違いに原因がありますが、本人たちも社会も十分にわかっていないようです。
民主主義は、リンカーンによって、「人民の、人民による、人民のため」の政治と表現されました。「私の、私による、私のための」政治とも表現できます。ところが、おおかたの人々は「私のための」にのみ関心が強く、他の2つはいわば政治家に丸投げしています。
政治家は、人々のための政治家たろうと志したはずですが、人々の意識との間にすれ違いが生じています。政治家は、自分では粉骨砕身、人々の無理な注文にも、心を砕いているつもりです。デスクや図書館で勉強するだけでは選挙が危ないですから、月来金帰を怠ってはなりません。激務である。「報酬が少ない!」と彼らは痛感しています。だから世間が裏金と指弾しても、依然として自分たちは悪いことをしたと思っていません。
保守政治家の本懐は、人々の生活の保守にこそあります。彼らはそのつもりでやっていると思い、人々は不十分だと批判します。この絶対的すれ違いにおける総選挙です。人々と政治家の気持ちを保守するのが本当の保守政治家です。わたし以外に、そんな保守政治家が存在するのでしょうか!