筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
朝日新聞の文化欄に、経済学者・暉峻淑子さんの回想談話が連載されている。今朝の話で、「戦後、多くの国民は『だまされていた』と自分の責任を認めなかった。私は違いました。どんな時でも自分の頭で考えなければいけない」という言葉について、わたしは少し考えた。
だまされていたというのは、1945年に敗戦するまでのことである。だましたのは、狭い意味では、政府や大本営(戦時最高の統帥機関)、報道機関である。狭い意味といったのは、それらは根本の発信源であるが、それを受け止めた人がさらにまき散らして幾重にも世間の見解を作り上げた。
なにが起こっているかという情報だけではない。たとえば、教師は生徒に対して、好戦熱を吹き込んだだけではなく、お国のために死ぬことが人としての正しい生き方であると高説を垂れた。
かりに自分から一切発信しなかったにしても、当時の日本人の周囲は、正しい戦争を推進する意見ばかりである。ただ上から押し付けられるのみならず、縦横無尽、がんじがらめに世論がつくられた。
「この戦争は勝てない」としゃべったのを教師に聞かれて、張り倒された。「どうもあいつは戦争に不満があるようだ」、「そいつは非国民だ」「スパイじゃないか」という調子だから、黙っていれば安全というわけでもない。
暉峻さんがいう「だまされていた」人々の実像は、純粋無垢の! だまされた人ではない。確信犯ではなかったかもしれないが、だまし、だまされ、盛り上がったのが戦時中の日本人の多数派である。
だから、敗戦後に「だまされていた」と語るけれども、にもかかわらず、人々を塗炭の苦しみに落とし込んだ連中の責任を追及する行動が立ち上がらなかった。いわば、いやな記憶をできるだけ早く打ち消したかったのだろう。
その気風は、後世代のわたしにもわかる。戦争体験を積極的に話す人は非常に少なかった。話したくないのである。それも、空襲のもとを命からがら逃げまどった、食べるものがなくて道端の草でも食べた、というような話はできるのだが、「だまされていたとはどういうことだったのか」を考えて話す人にはお目にかからなかった。
敗戦で期せずして、日本人は民主主義を手にした。客観的には、それは「だまされていた」苦い体験が生んだのだ。だから、二度と戦争するような国にしたくないという気持ちと共に、民主主義を育てよう。そのためには、まず、自分自身が民主主義を深く理解し実践しなければならない、という気持ちが大きく固まっていかねばならなかった。
顧みれば、1960年代あたりまでは、そのような気風がかなり強かった。わたしの体験では、80年代に入ると、すっかり! そのような気風が消えてしまったと思う。
60年代には、戦争から遠く離れるにしたがって、戦争を忘れてはいけないという論調は少なからずあった。しかし、1945年以後に生まれた人々には、そもそも戦争体験がない。忘れようにも、戦争を知らないわけだ。
もちろん、戦争体験がないのは上等である。ためになるから体験しなさいと言われても、わたしはご免こうむる。
では、戦争を忘れてはいけないとは、なにを意味するのか。それが、暉峻さんの「どんな時でも自分の頭で考えなければいけない」という言葉である。自分の頭で考えなければいけない。それが正真正銘、骨の髄まで浸透するためには、戦争体験世代の「苦い気持ち」の本体がなんなのか。それを知っておかねばなるまい。
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果たして、現代の人々は、どんな時でも自分の頭で考えているだろうか?
