筆者 奥井禮喜(おくい れいき)
88歳の袴田巌さんに、判決が伝わってほしい。長い艱難辛苦が成就したとしても冤罪によって過ごした人生が再生復活することはない。
90歳を超えた姉の秀子さんの精神力はなんと形容できるか。しかも、検察や警察に対して恨みがましい言葉を口にされない。達観というのはこのような境地だろうか。写真の笑顔を見て、わたしは軟弱にも涙が出そうだ。
検察・警察の関係者からは、いままで、個人の感情らしさを感じない。もしも最大の動機が組織的正義感(?)に依拠するとすれば、空恐ろしい。しかし、証拠物件を捏造したとすれば、そして、その可能性をわかりつつ否定するとすれば、換言すれば正義感を騙った組織的犯罪が加わる。
朝日新聞も毎日新聞も、報道の経過について反省の弁を掲載した。いわく、犯人と決めつけ、逮捕即犯人として報道したという。
その原因の1つは、警察・検察のみの取材に依拠し、それを絶対としたからだとする。しかし、袴田事件に限らない。いまでも、ほとんどそれは変わっていない。
つまり、警察・検察、裁判所、報道の3つが閉じたループを形成していると考えれば背筋が寒くなる。いや、それだけではない。
概して、人は偏見と予断の生き物だ。自分も、そうした性癖をもつ1人だと認識して生きていかねばならない。秀子さんのような笑顔にはなれない。