論 考

私益のために戦争を辞さず

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 レバノン、ベイルートなどでのいわゆるポケベル爆破による、イスラエルのヒズボラ攻撃は、ネタニヤフが短慮の戒めをすでに放擲したとしかみられない。

 イスラエルはこの事件について沈黙しているが、その質、規模、スケールなどからしてほかに実行するものはいない。

 イスラエル軍やモサドの優秀性は自他ともに認められているが、軍事力や諜報活動が優秀だといっても、国・国民が安全に暮らせるわけではない。むしろ話は逆で、その優秀性がイスラエルを軍事国家・戦争国家に押し上げ、その頂点に立つ人間、すなわちネタニヤフの決断一つが国・国民を危険の崖っぷちへ押しやってしまうというべきである。

 レバノンもヒズボラも本格戦争に入らぬように慎重であったし、イスラエルも同様だとみられている。

 だから、今回の一斉爆破事件が大きな驚きを生んだ。国連グテレス事務局長が「深刻なリスク」と批判したのは必然である。

 これからさらに事態が解明されるだろうが、この作戦が相当以前から計画され準備されたことは誰にでもわかる。

 そして、それは少なくとも軍事戦略的に重大な時期を選んで実行されるはずであっただろう。つまり、宣戦布告と同様の重大さである。とすれば、ネタニヤフは全面戦争になることを決意したのか。あるいは、そうなっても構わないという判断だったのか。

 常識的には戦略ミスである。ここでレバノンとの全面戦争に突入すれば、中東全的に戦火が拡大する危惧が大きい。これは、もちろん、ガザ問題で一歩も譲らないと公言したのと等しい。

 大統領選選挙戦がギリギリ終盤に入っている時期を狙ったとすれば、アメリカを道連れにするのが、ネタニヤフの戦術だろう。しかし、それは中東戦争、世界戦争も恐れず突き進むことである。

 もつれた問題を解決するために腐心するのではなく、問題を封じ込むためにさらに大きな戦争を引き出そうとする。

 なんのためにか? 国民に対する政治基盤が決定的に劣化したネタニヤフが、自身の保全を図ろうとしているとしか思えない。

 本欄で9月5日「騙りのシオニズム」を論じた。シオニズムが神の教示に基づいているというロマン? を抱いている国・人々を欺き続けて、イスラエルは植民地国家主義を展開している。

 もう、いい加減にイスラエルの横暴に終止符を打たせねばならない。