論 考

購買意欲をそそらぬ!

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 高小林小上加河石茂、9人がゾロリ、自民党総裁選に立候補した。

 わたしに買ってちょうだい、と言われていないことは承知であるが、それにしても購買意欲が湧かない。いかんともしがたい。お米がスーパーに並び始めたが、政治のほうは、購買意欲が湧かない事態が続く。

 これが目下自民党のオールスターなんだろう。しかし、本気で当選を狙っているのは1/3で、あとは後々の立場を固めるとか、誰が総裁から首相になってもいい。早目に猟官運動しておこうという観を拭い去れない。まあ、参加することに意義があるという言葉もあるが。

 石破氏は、「地方の悲しさ、苦しさ、誰よりも知る」と語る。わたしは氏のお隣県で育ったが、こんな心地を抱かなかった。大都市と比較してのことだろうが、大都市に暮らす大方の人々も、悲しさ、苦しさが小さくない。地方に寄り添う気持ちを表現したとしても、いかにもパターン化して退屈だ。

 単純に地方のテコ入れをすればよいのではない。かつて平等観が強かった日本国なるものが、いつの間にか大きな格差社会になってしまった。大都会と地方ではなく、自民党的人間観、社会観を反転させねばならない。最後の挑戦にしてはパンチ力不足、ボキャブラリー過疎だ。

 小泉氏は、やはり危なっかしい、軽薄な不安を捨てきれない。人生においてはすでに中年期に入っているが、いつまでもボジョレー・ヌーヴォーで、熟成できない。フレーバーがない。徒弟奉公いまだならず。ゲーテの『ウィルヘルムマイスター』なんか読んで、じっくり構えてもらいたい。

 とくに、解雇規制見直しなど軽々に叫んでほしくない。父親の新自由主義は大失敗だった。非正規社員が圧倒的 に増加した。雇用の意味がわかっていないらしい。純一郎的規制緩和が日本経済を強くするどころか、内部崩壊状態へ進めてしまった。親子二代にわたって「一将功なりて万骨枯る」にしてもらっては困る。

 裏金問題に関しては、当初発言のトーンを下げた人、はじめから低調な人ばかりである。旧安倍派の連中の挙動を意識する候補者揃いでは、いやはやなんとも。

 どうやら、枯れ木も山の賑わいとばかり、カンカン(cancan)踊りで、退屈した観客をひきつけようとしているだけ。

 自民党総裁選史上最多の立候補というが、数だけでは、歴史の役に立たない。自民党を本気で変えようとしている人物が果たして存在するか。人材枯渇と言いたくなる。