論 考

中年危機とその対策の実践例

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 朝日新聞朝刊(9/2)に、男性の更年期障害の記事が掲載された。関連して同様の趣旨のミッドエイジクライシス(中年危機)についても掲載された。

 医学的にはテストステロン(男性ホルモン)が低下する。環境変化なども原因の1つだとする。だいたい30~40代で発生するが誰でも体験するわけではない。対策として、ビタミンDや亜鉛の摂取、ウオーキング、よい睡眠のすゝめなどが指摘されている。

中年危機の気づき

 実は、1970年代後半、わたしが所属していた労働組合は、中高年層対策に取り組んだが、その過程で中年危機(middle age crisis)に注目して、その対策として人生設計システム「シルバープラン」を開発実践した。少し紹介しておく。

 中高年対策の必要性は組合員が声を上げた。終身雇用・年功序列制度によって、この道一筋に精進すれば、中年期以降は生活の心配などしなくてよいと信じて働いてきたが、どうも様子が違う。子供の教育費がかさむ。住宅ローンが負担だ。賃金カーブをみれば、中高年層が中だるみじゃないか。というような生活の不安からの主張が中心だった。

 対策に当たったわたしは次のように考えた。

 賃金・生活面の苦情もさることながら、敗戦までの国家主義思想教育によって、自己主張を徹底的に阻害され、滅私奉公こそが人生だと叩き込まれてきた世代がかなり多い。戦後は滅私奉公の対象が会社となり、なんでも会社のため、生産第一(工場の看板はすでに安全第一に変わってはいたが)の思想で、まさに粉骨砕身が勤め人の美学みたいであった。

 極論すれば、――全面的に会社に尽くすのだから、会社は全面的に面倒をみてくれるのが当然――という考えである。どこにも自分という「主体」がない。これではいけない。いかに会社が過ごしやすい世界であろうとも、自分の人生は自分がつくっていくものじゃないか。

目標喪失と中年危機

 くわえて中年期特有の傾向があるように分析した。それが中年危機である。20歳前後で入社、社会人になる。先輩の背中を追いかけて、早く一人前になりたい一念でがんばる。入社10年もすれば一丁前でおおいにきぶんよくがんばる。そして、結婚し子供ができて、ある日、なんらかの弾みに! 自分の人生はこんなものだったのかと思う。

 実は、自分が一人前になって、先輩という目標が消えた。目標が消えたのだということに容易に気づかない。

 わたしは、中年危機に着目した。この道一筋論で、勤め人人生を駆け抜けるのも1つの形であるが、入社して定年まで、単一モデル的に突き進めるような時代はすでに終わっている。あきらめや、はたまたやり場のない不満を抱いて生きるのは辛すぎる。ここは一番、自分の人生の主人公は自分自身だということに気づくべきだ。

 そのように考えれば、中年危機はちょっと目には障害的だが、立ち止まって考える絶好の機会でもある。漫然と勤め人人生を過ごすのではなくて、来し方を振り返り、自分自身を見詰め直し、未来に向けての目標観を再構築する。

 1人ではなかなか思うように考えられないが、仲間と一緒に考え、学び、話し合いをすることによって、いわゆる「人生設計」が可能ではなかろうか。

 西欧では、「人間は自分がなろうとするものになる」という考え方が当然である。日本のように、個を圧迫して、全体主義思想を徹底的に叩き込んだ国柄では、民主主義になったといっても、根っこが弱い。違う言葉で表現するなら、「自我の復権」こそが、大事である。

人生の鉱脈を掘り当てた

 シルバープランの開発は、わたしが自分流の発想で書き上げた。開発から、教材テキストを作成し、世話役に最低限の教育をし、各支部一斉にスタートするまでに1年と少ししか費やしていない。いわば促成栽培、走りながら修正していこうという調子だから、きわめて大胆な導入であった。

 しかし、職場の組合員は嬉々として研修活動に参加した。世間の話題になって新聞・テレビがたくさん取材にきたが、盛り上がる話し合いを見て、目を丸くしていた。

 鉱脈を掘り当てたのだ。考えてみれば、自分が自身の人生について思いをはせることが愉快でないわけはない。昔の型教育の、あらまほしき人間像に人を固めるような訓育・調教的人生論が面白くないのは当たり前だ。自分の人生は、自分がつくる。無限の選択肢のなかから、自分らしい自分を発見する活動が愉快なのは当然である。

 この活動は、1980年代一杯は活気があった。90年代に入って勢いを失った。中核として研修のコンテンツをメンテナンスできる人材がいなかった。それで、シルバープランは伝説になってしまった。

 50年後の今、またぞろ中年危機という言葉が登場した。

 中年危機は、決して病気ではない。朝日の記事は、どちらかというと病気的扱いであって、物足りなかった。個性、自我を育てるのはもちろん、自分自身である。

 しかし、社会や組織が、それの価値に気づき、バックアップ体制を構築しないかぎり、中年危機は病気のカテゴリーに停頓するだろう。果たして、新しい動きが出るだろうか。わたしは、期待をこめて注目する。